いつもは名字で呼ぶ人が、わたしの名前を呼んでくれた

いつもは名字で呼ぶ人が、わたしの名前を呼んでくれた。いま思い出してもにやけてしまう。だって、わたしが好きな人に、「名前で」呼ばれたからだ。
そんな自然に呼ぶのか?と思うくらい自然に、名前にさん付けで呼ばれて耳を疑った。ますます好きになってしまうじゃないか、と思った。だってそんなこと、滅多にないのだから。
だからといって、公の場でキュンしている場合ではなかったし、わたしも名前で呼んでいいか、と言われれば決してそうではないのも事実。でも、名前で呼ばれたの。ふふ、うれしくてスキップで駆け出しそうだったのを理性のところでおさめている。でも口元はにやけている。思い出しては、ふはっ、と笑いがこぼれる。ああ、わたしはこんなにあの人のことが好きなのだなと改めて思った。できればそこだけ録音しておきたかった。
好きな人とはかれこれ5、6年の付き合いになる。彼は仕事で、わたしは、いまの家に、地域に引っ越してきてから接する機会ができた。仲は悪くはないと思う。世間話もたくさんするし、お悩みを聞いてくれたりもする。アドバイスをくれることだってあって、それが的を得ていて頼りにしているのだ。年上の、頭の良い、甘いものも辛いものも好きな素敵な男性だ。
実は、男性を好きになるのは久しぶりだった。というのも、わたしはいわゆる、バイセクシャルで、男性も女性も、どちらも恋愛対象になるわたしにとって、以前好きだったのは女性だったからだ。でも、家族には言えていない。友人のひとりだと思われて、遊びに行っていたのだと受け取られているのだろう。そしてその子本人にも、あなたのことが恋愛感情で好きなのだよと伝えてはいない。伝えて終わってしまうのならば、友人のままでいい、と奥手なわたしには勇気はなかった。
好きな人はいま、こちらに赴任してきているのだという。来年はもしかしたら居ないかもしれないです、と去年言われていて、お別れが来てしまったら寂しいなと思っている。
ただ、もともと叶うはずのない恋ではある。好きな人にはきっと相手がいる。そんな気がするのだ。もちろん、出会い方も、彼とわたしの立場的な関係も、わたしからの彼への想いが叶うはずのない状態だ。だから、いつかくる、お別れの時になにか出来ることはないかと模索してはいて、例えばお手紙を渡す、とか。ただ一言、好きです、と何かしらの形で伝えたい。好きな人はとても聡い人だと思うから、おそらくは気付くだろう。なんならもう気づかれているようにも思う。でもそれを黙っていてくれているところも、紳士的で、好きなポイントだ。
ちなみに、好きな人の好きポイントは、
①背が高い、
②声が好き、
③手指が綺麗、
④料理が好き、
⑤好きなケーキ屋さんがある、
⑥人見知りでガードの硬いわたしが自分のことを話せる空間と雰囲気を作ってくれる、
⑦かわいい寝癖がよくついている、
⑧紳士的、
⑨いろいろなことに詳しい
……あげればキリがないけれど、でももっともっと好きなところはたくさんあって、こんなに恋をするのは久しぶりなので、叶うことはなくとも想いだけでも伝えたいのだ。わたしが彼に名前を呼ばれてキュンとしたように、嬉しかったように、彼は何をされたら嬉しいだろうか、と考えている。
もしこの恋が叶うようなことがあれば、その時は真夏に大雪、真冬に猛暑日、そして天と地が逆さまになってしまうだろう。もし、そうなった時に、このエッセイを覚えていてくれる人がいたなら、あの人の恋は叶ったのだなとお祝いしてください。
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