私は転勤族だ。内向的で、転校先の学校との相性もよくなかった私にとって転勤族とは、大袈裟でなく自分が背負ってきた十字架だった。
誰かに「出身は?」と聞かれる。「何歳まで○○県で、何歳から××県で……」と話すのが面倒くさい。それぞれ長く住んだことがないので、その地域のことを聞かれても正直詳しくない。

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しかも私が就職して一人暮らしを始めた後、両親はまた転勤で県を跨いで引っ越した。職場に「最近実家が引っ越して……」と話すと、実家というと持ち家か何かで動かないもの、という先入観があるのか、周りに少し驚かれるので説明する。

また別の人に、一人暮らししていると話すと「実家どこ?」と聞かれるので、「◇◇県だよ」と最近両親が引っ越した先の県名を言う。そうすると私はそこに一度も住んだことがないのに「◇◇県出身」だと思われるのでまた説明が要る。ややこしい。

転校経験を良い方向に活用できる人もいるだろうが、私にとって「転校」や「引っ越し」は勝手に人生が分断されていく理不尽なものだった。子供時代の私には、いつも自分が「よそ者」だという意識があった。それは自ら線引きしていただけだと後になって気づいたけれど、子供時代の記憶はどこか寂しい。

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就職後、職場が実家から頑張れば通える距離だったが一人暮らしを始めた。子供時代に転校し大学卒業まで住んだ地域に馴染めず早く離れたかったことと、ずっと親の転勤で住む場所を選べなかったから、今度は自分で生きる場所を選びたかったからだ。

熟慮して選んだ物件は本当に住みやすく、今でもとても気に入っている。一人暮らしは心底楽しく、質素で狭い部屋でも一国一城の主になった気分である(賃貸だけど)。転勤を子供時代から繰り返してきた私は、ようやくささやかな自由を手に入れた。

けれども私の仕事は、残念ながら転勤がある。大好きな会社で、やりたかったのがこの会社でしかほぼできない職種でもあり、内定が出たとき辞退する選択肢はまずなかった。今の職場で自己実現できてとても幸運だが、いつかまた転勤する。
幼少期から引っ越しを重ねてきた私には、転勤が生きることとのトレードオフになっているらしい。

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今後、望まない転勤が発生し引っ越し先の家や職場が嫌だったとしても、その先でどんなにささやかでも何か好きになれるところを見つけたい。

たった一人でもそこで私に優しくしてくれる人がいたらいい。引っ越し先の地域で、花でも樹木でも川でも猫でも、ちょっとした嬉しい出会いがあったらいい。

あるいは自分が小さい頃から大事にしてきた持ち物。趣味。そうした、小さなよりどころを大切にして、自分の機嫌を自分でとっていかなければならない。

嫌でも、私も変わっていかなければならない。

しかし。たとえば女性の一人暮らしは男性以上に防犯面に気を遣わなければならず、家の選択肢は減り家賃が当然上がる。また、東京の隣県に今の実家があるのに都内に一人暮らしする私は、「女の子なのになぜ?」「ご両親と折り合いが悪いの?」と聞かれたり、時には「男を連れ込むため?笑」などと嫌な詮索を受けたりもする。

私の一人暮らしは、なりたい自分になるためだ。両親との不仲でも男のためでもない。一人暮らしをしてみて私自身はかなり快適なのだが、性別ゆえに不便さや周りからの偏見も感じてきた。

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私は転勤族だ。これまでも、これからも転勤族であり続ける。私の故郷はどこにもないし、私の未来も不確定である。それは受け入れざるを得ないので、私自身ももっと新しい環境への柔軟性を身につけ変わらなければならない。

けれど、それ以上に女性が一人暮らしであってももっと住みやすい社会であってほしい。また私の母も、父の転勤ゆえにキャリアが中断されていたが、転勤者の家族一人一人の思いや希望がなるべく尊重されるようになってほしい。同時に、パートナーや子供がいるから、介護があるから、病気があるからといった個人の事情が配慮されるのと同じくらい、一見そういった「事情がない」ように見える人たちにあらゆる負担が押し付けられないようになってほしい。実現が難しいのはわかるが、私自身が願ってやまないことだ。

都会でも地方でも暮らしてきた根無し草の私にとって、「この先、生きていきたい場所」は特定の地域ではない。女性でも一人暮らししやすく、かつ転勤が個々人の(家族含む)希望に最大限配慮される社会である。