ロイちゃんがこの世を去り5か月。愛猫の死は私を強く、少し優しくした

愛猫のロイちゃんが死んで、早5か月が経った。
美味しいものを食べれば、「ロイちゃんは苦しんで死んだのに私はこんなものを食べている」と罪悪感に駆られ、綺麗な景色と出会えた日は、「ロイちゃんをもっとおでかけに連れて行ってあげたら良かった」と後悔し、何をしていてもどこにいてもロイちゃんを思い出す。
私の家に来て、ロイちゃんは幸せだっただろうか。私はロイちゃんに沢山の幸せをもらったのに、私がしてあげたと言えることは何一つ思い浮かばなくて、この5か月間、「もう一度会えるなら」と起こらないと分かりきっている奇跡を何度も何度も願っては、失望した。私に甘え、膝上で丸くなって可愛いイビキで眠るロイちゃんが愛おしくて愛おしくて、たまらなく幸せだった。
ロイちゃんの寝顔は、カーテンに差し込む朝日みたいに優しい気持ちを思い出させてくれた。いかのするめみたいな臭さと、シャンプーの香りが混ざった何とも言えない体臭がして、でもその匂いにさえも何だか安心できた。けれど、あの時はその幸せを当たり前にあるものだと勘違いしていて、ロイちゃんが死ぬなんて知らなかった。なんてバカだったんだろう私。
今年も春が来て、家の庭にウグイスが来てくれるようになった。ロイちゃんは鳥を追いかけるのが大好きで、庭に鳥が遊びに来るととても嬉しそうに窓際で短い手を一生懸命伸ばしていた。「ホーホケキョ、ホーホケキョ」と美しくさえずるウグイスが、まるで「あれ、ロイちゃんはいないの?ロイちゃん遊ぼうよ」と言っているようで、春らしさを感じる音が今年は何だか切なく悲しい音だった。春の光や鳥の声、やさしいものに包まれるほど、いっそう「ロイちゃんに会いたい」と思う。
もう一度会えるなら、うるさいくらいに大好きだと伝えたい。もう一度会えるなら、しつこいくらいに抱きしめてあたためてあげたい。もう一度会えるなら、ロイちゃんに、もう一度会えるなら。頭ではわかっていても、心が毎日そう言ってしまう。ロイちゃんの瞳の色や抱きしめた時のぬくもりをいつか忘れてしまうかもしれない自分が怖い。ロイちゃんの匂い、癖、甘える仕草。全部忘れたくない。
人は皆、大切な存在との別れや死を乗り越えながら生きてゆく。「もう一度会えるなら」という魔法のような奇跡に、本気で希望を持っては、バカバカしく絶望する。大切な存在の喪失は、心を擦り減らし、胸を痛めつける。それでも生きていくのは、寂しくて辛くてとてもやりきれないけれど、こんなに苦しいのならロイちゃんと出会わなければ良かったとは思わない。ロイちゃんはたしかに私の人生に華やかな色を塗ってくれたし、明るい音楽を流してくれた。ロイちゃんの死でその色や音楽が無かったことにはならないし、その華やかさや明るさは今の私を作り上げた。
大切な存在の死は私を強く、少し優しくした。当たり前なんてものはなくて、いつか失うこともある。この喪失感の行く先なんてわからないけれど、ただ譲りきれない思い出と忘れられない想いを胸に秘めて、私は今日も生きてゆく。
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