あの頃のわたしが望んだ「もう一度会えるなら」は幻滅に終わった

この前、父に会った。過去にけじめをつけて生きていこうと決意したからだった。
でも、もう二度と会わないだろうな、と思った。
理由は、幻滅したからだ。
かつての妻との間に身籠った子など鬱陶しいと思われていた方がマシだった。子の存在など忘れていてくれた方がマシだった。
事の発端はわたしが父の所在を突き止めて、手紙を送ったことだった。家族だった最後の日から、約15年が経っていた。
おそらく手紙が届いてすぐに電話をかけてきたのだろうことは分かった。わたしのことは一時たりとも忘れたことがないとか、ずっと覚えていたとか、死ぬ前に一度でいいから会いたかったとか、のたまっていた。
じゃあなんで、なんとしてでも連絡取ろうとか、会いに行こうとか、血眼になって這ってでもしなかったのだろう。じゃあなんで、母親はあんなに苦労しなきゃいけなかったんだろう。
妻に嫌気がさしていたのも、妻とは二度と顔を合わせることや連絡を取り合うことはしたくなかったのだろうことも、分かる。でも、愛する子供たちがその妻と一つ屋根の下で何年も生活していくことを、想像できなかったのだろうか。
わたしたちのことを愛していたのかもしれない。ずっと陰ながら想っていたのかもしれない。でも、親が”子を想っているだけ”じゃダメだろう。
その後きちんと会って話を聞いたから、その理由も、背景も、思いも、聞きたかったことは聞いたはずだった。でも、理解はできなかった。わたしたちに何もしないで良い理由にはならないと思った。
どんなに苦しかったか、どんなに助けてほしかったか。あの頃救われたかったわたしはもういないのだ。救われなかった少女が取り残されているだけだ。もう、誰にも救えない。過去には戻れないから。
それならいっそ、嫌っていてほしかった。
幻滅した理由はそれだけではなかった。やり取りの間で人としてその振る舞いはどうなんだと疑問を呈するようなことが幾重にも起こったし、極めつけは服装だった。
その日15年ぶりに再会した父親は、赤いチェックのダウンジャケットに、蛍光色のラインがあしらわれた真っ青なスニーカーを身に付けていた。
ださい。圧倒的にださい。
でも、わたしが幻滅したのは、ださいからではなかった。TPOさえわきまえていたのなら、その恰好でも許せたと思う。行先がファミレスとか居酒屋とかだったら、なんとも思ってなかったと思う。ださいとは思っただろうけど。
その日は、ホテルのランチを予約していたのだ。その連絡も事前にしていた。ランチだし、多少カジュアルでも許した。でも、赤チェックのダウンジャケットに真っ青なスニーカーは違うと思う。わたしは許せなかった。
確かに、「ホテルだから綺麗目な格好をしてきてほしい」とは明言しなかった。だとしても、60歳近いおじさんが、社会人を30年強やってきた大人が、それくらいは自分の考えで分かってほしかった。
もっと言うなら、特別な場面では、スーツを着るのが妥当であるという価値観を持っていてほしかった。ダウンジャケットとスニーカーでは断じてないと思う。せめてもう少しだけでもフォーマルだったなら。
その至らなさにも幻滅したし、父親の考えやあの頃のわたしたちへの態度の真相にも幻滅した。
自分でも、もはや何に期待していたのかわからなくなっていた。よく考えれば、父親の態度や行動が妥当な気もするし、15年のブランクをそのたった1日で埋めようとか、判断しようとか、している自分もお門違いな気がしてくる。
だから、もう一度だけ会うことにした。
そうして感じたのは、父親がもう一度親子をやり直そうとしている自己満足に付き合わされているような感覚だった。わたしは、過去にけじめをつけるために父親と会うことにしたに過ぎなかった。
今後も父親と会い続けて、もう1度”お父さん”を取り戻したかったわけでもないし、仲良し親子ごっこをしたいわけでもなかった。
そして父親は、「何も話さずとも、同じ空間にただ居るだけ、同じ時間をただ過ごすだけでも意味があると思っている」と言った。いくら戸籍上は、遺伝子的には父親とは言え、15年の間1度も会っていなければ、もはや”他人”としか思えなかった。わたしにとって父親のその発言と行動は、”他人と数十分間無言で居る”という苦痛でしかなかった。たぶん、今後もそうなんだろうなと思った。
わたしのことを知ろうとするわけでもない、楽しませようとするわけでもない、何もしない、他人。
これ以上、わたしがあなたと会う理由も目的も、そして期待も、何もない。
「もう一度会えるなら」あの頃のわたしはそう願っていた。でも、今のわたしは、もう一度は望まない。
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