小学校の給食の時間、なぜか同じクラスの女の子は白米を半分減らしてから食べていた。どうせ残すなら最初に減らして、食べたい人が食べればいい。給食の残飯を無くすために、きっとどこの学校でもあった文化だと思う。普通の女の子は、お茶碗一杯の白米も量が多くて食べられないみたいだ。

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私の記憶では小学校中学年から中学校まで、毎日周りに合わせてご飯を半分最初に減らしていた。当時は今よりずっと自意識過剰で、周りの目を気にしていた。ご飯を一杯食べるなんて、大食いだと思われて嫌だ。好物であるうどんの日も、袋麺を半分最初に残していた。

食に対する自分への嘘は高校の時もあった。小中と給食だったが、時々何かの行事のため、お弁当の日があった。お弁当の日に、たまに言われること。それは「お弁当箱、大きいね」。すごくすごく恥ずかしかった。友達は一段のお弁当箱なのに、私は二段のお弁当箱だ。そのため高校から使うお弁当箱は、一段のものを購入した。

過去の私は、自意識過剰でもあったし、女の子があるべき姿に囚われすぎていたのだと思う。女の子はあまり食べない方がかわいい。痩せているべき。家で人一倍食べる私は、ほんのちょっとだけ、肥満体型だった。そのため、高校時代はダイエットに励んでいた時もあった。

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大学は、女子大に入学した。周りの目を気にしない生活。本当に楽で楽しい。運動部に入っているのもあってか、部活の友達はみんな私と同じくらいたくさん食べてくれる。他の友達と違って、自分はまだ食べられる時に、「お腹いっぱい」とかは誰も言わない。「このメンバーで食べるご飯が一番楽しい」と毎回言い合っている。
運動はしているが、こんなことを頻繁にしているせいだろう。人生で最高体重を更新中だ。けれども、それが気になってダイエットを始めようとは思わない。痩せた体型になるより、好きなだけ食べられない方が私にとってはずっと辛いのだ。

太っていることは恥ずべきことなのだろうか。確かに肥満体型は、健康的には良くないのかもしれない。自己管理ができてないと思う人もいるのかもしれない。だが、体型も個性でありたいと思ってしまう私がいる。テレビに出てくるアイドルや女優さんはみんな綺麗で、何より細い人ばっかりだ。だからといって自分もそうであるべきだとは思わない。もちろん、痩せている方が魅力的であると思う人はダイエットを頑張ってもいい。私も、太っている人がランニングを頑張っている姿を見ると応援したくなる。なりたい自分になろうとしている人は誰よりもかっこいいと思う。

けれど、私は自分を偽ってまでそうなりたいとは思えない。自分に嘘をつく方が嫌だ。もしいつかこれ以上ないくらい好きな人ができて、その人が痩せている女性を魅力的に思う人だったらダイエットを頑張るかもしれない。けれど、今じゃない。食べることを犠牲にしてまで、取り組みたいことは今はない。

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悪気はないとは思うが、「私最近太ってきたから痩せなきゃ」とか友達に言われると、自分もそうしろと言われている気になってしまう。あなたの目の前には、あなたより太っている人がいる。申し訳ないが、嫌味に聞こえてしまう。昔の私だったら、傷ついていたかもしれない。ダイエットを始めようと思っていたかもしれない。
けれど言わせて欲しい。今の私は、たとえ太っていても、自分の食欲に嘘をついていない自分が好きなのだ。