茶碗から奪って2回朝食を食べた、つやつや輝くじいちゃんのお米

「ちょっとだけよそって」
そう言って白いご飯をおねだり。しゃもじが向かう先は炊飯器。ではなく、じいちゃんの茶碗に盛られたほかほかなご飯。じいちゃんのモーニングを中断させて、漬物を入れる小さな小皿に白米を分けてもらって、私の2回目の朝食がスタート。
じいちゃんが食べているご飯はとても美味しそうに見えた。炊き立ての温かい香りと、もわっとした湯気が私を空腹にさせる。
1時間ほど前、同じ炊飯器で炊かれたご飯を自分も食べた。はずなのに、やっぱりじいちゃんの茶碗に入るご飯は輝いて見えた。ついでに図々しく梅干しも分けてもらって、小皿にミニ梅干しご飯が完成する。とっておきのツヤツヤでふかふかの宝飯。
「そんなに食べて大丈夫?」と家族は5歳の胃袋を心配してくれた。
そんなことをするもんだから、保育園で給食の時間になってもお腹は空かない。先生に怒られながらおかずはいつも残していた。でもお米はきちんと完食。
じいちゃんはお米屋さん。私の保育園にお米を卸していた。昼食のお茶碗にもじいちゃんが作ったものがよそわれる。ちょっと自慢だった。
小学校に上がると給食センターのご飯になる。
そこにはじいちゃんのお米にあった、ツヤツヤネバネバな輝きはなかった。ちょっと鈍い白になった気がした。早く昼休憩で遊びたくて「ごめんなさい、」と、乾いた白米を給食の缶に返すこともあった。
中学生になる。不思議と体重が気になり始める。「お弁当のご飯減らして」と母に注文しておかずがメインのお弁当箱だった。
高校生になる。朝食は友達と昨日買ったミスドの余り。そんなおやつみたいな朝食が好きだった。
大学生になる。一限に間に合うように電車に乗るのに必死な日々。帰宅は終電ぎりぎり。外食やコンビニ飯が増えた。
気づけば、だんだん三食じいちゃんのお米を食べなくなっていった。
私はじいちゃんのお米の味がわからなくなっていった。
じいちゃんはお米の作り方がわからなくなっていった。
四六時中田んぼに寄り添っていた人でも認知症や老いには勝てないらしい。
じいちゃんは施設に入って病院に入って今はお仏壇の中に入っている。その移動のスピードはとても速かった。じいちゃんも私も、三食じいちゃんのお米を食べられなくなった。
じいちゃんが管理をしなくなって、今まで任せっきりになっていたものたちが姿を現した。広い田んぼ、大きな精米機、田んぼ用のトラクターが3台、70年続いてきた米穀店の看板。失って初めてその存在の大きさに気づく……とはよく言うけど、本当にその通りで、じいちゃんの守ってきたものの凄さに気づくと同時に、じいちゃんのお米がどれだけ美味しくて私にとって大きな存在であったかも感じた。
もうあのお米を食べられないのか、と、とてつもなく大きな喪失感がやってきた。もっと食べておけばよかった、もっと作り方を教わっておけばよかった、もっと、もっと……。
一時期はその美味しさを忘れていたけど、喪失感に刺激されてか、不思議と思い出されるのはあの、朝ごはん。じいちゃんの茶碗から奪ったお米で作る梅干しご飯。あれに勝るご馳走はもう今後ないと思う。
私は今でも朝はごはん派。もちろん梅干し付き。それを実現できているのは父が田んぼを受け継いだから。もうじいちゃんのお米は食べられないけど、父のおかげで我が家の土地が生み出すお米は食べることができている。
作る人は違えど、作り方は違えど、住む場所は違えど、どこか繋がっている気がして、炊き立てご飯の梅干し丼を食べると家族の愛をすぐそばで感じる。
今から明日の朝ごはんも楽しみだ。
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