私が住む地域は今の時代には珍しく、近所との交流が盛んだ。昔の"隣の家から醤油を借りる"こそしないが「庭に生ったから」と蜜柑や柚子、千両をくれる。地域の活動も活発で定期的に公園掃除や防災訓練がある。

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そのなかでも特に濃密な関係を築くことになるのが自治会。私が3歳の時、我が家が班長を務めることになった。

保育園や幼稚園に通っていなかった私は親について行って会議に参加させてもらっていた。比較的年齢層が高い地域なので、みんなが孫のように可愛がってくれた。大人たちが机を囲んで会議している足元にレジャーシートを広げて、私は塗り絵やら折り紙やらで遊んでいた。

おじゃま虫と言われてしまえばそうだったと思う。だけど、そこにいた方々は「よく待てるね」「いい子だね」と声をかけてくれたり、お菓子をくれたりした。

寒かったとある日には「床に座ったら寒いでしょ」と折りたたみの椅子を家から持参して貸してくれた。

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1年間、私も仲間に入れてくれた自治会の皆さんとはその後も交流があった。年に1、2回お食事会が開かれた。私のことも招待してくれた。参加する度に「何歳になったの?」「お姉さんになったね」と話題の中心にしてくれた。

この交流は何年も途切れることなく続いた。

私が中学生になった13歳。つまりあの年から10年。その年はお寿司屋さんでお食事会が開かれた。

学校が忙しく、私は数年ぶりに参加した。「わぁ〜久しぶり!」と皆さんが手を振って歓迎してくれたが、年頃もあって恥ずかしくて会釈するのが精一杯だった。

そんな私の隣に座ってくれたのは自治会のメンバーの中でも特に働き者で若々しいおじ様。年齢はたぶん私の祖父と同じくらい。

お酒も入って場が温まってきたころ、おじ様がそっと私の肩をトントンとしてきた。
顔を上げると「これあげるよ」とお皿を指さしている。

指の先にあるのはたまご握り。コースを頼んでいる大人たちとは別に私はお好みを4貫しか頼んでいなかった。足りないだろうと気をつかってくれたのだ。

そこで選ばれたのがたまご握り。他にもまだまだお寿司はお皿に残っていて、たまご握りの隣のサーモンが私の大好物なんだけどな、と、なんとも無礼なワガママが頭に浮かんだ。だけれど、まだ子供だと思ってたまごを選んでくれたのかな、と思うと、小っ恥ずかしくも、嬉しかった。

しばらくして会はお開きになった。送迎バスが出るお寿司屋さんだったから、各々自分の家の近くで降りていった。
私にたまご握りをくれたおじ様は、杖でやっと来てくれた、また別のおじ様の介護をしながら、「じゃ、また!」と背中越しに挨拶をして帰って行った。

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その2日後、我が家の電話が鳴った。

「〇〇さん、亡くなったんだって」

たまご握りをくれたあのおじ様の訃報だった。

つい2日前まで、あんなに豪快にお酒を飲んで、美味しそうにご飯を食べて、楽しそうに話していたのに。亡くなった日の前日は地元の野球チームの試合に出ていたという。

あまりに突然の別れだった。これまで闘病中の人を見送ったことはあったけど、この別れ方は初めてだった。

あまり状況を飲み込めないまま、葬儀に行った。また来年会えると思っていたのに。ちゃんとたまご握りをくれたお礼してないのに。

くれるならもらお、という軽い気持ちで受け取った最初で最後のプレゼント。ちゃんと目を見て「ありがとうございます」と言えばよかった。ちゃんと目を見て「また会いましょう」と言えばよかった。当たり前にまた1年後乾杯できると思っていたのに。

もう一度会って、今度は物々交換しませんか。
たまごをくれる代わりに、お酒のアテにぴったりと言っていたまぐろをあげます。
もう一度「これあげるよ」と言ってくれませんか。