あなたのいない十二年。変わることのないその声を、私は今日も聞く

もし、あなたが今も生きていたなら。あなたはどんな風にこのねじれた世界を生きただろう。どんな言葉でこの世界を表しただろう。あなたはどんな風に、年を重ねただろう。
大好きなあなたへ。
私があなたを知ったのは、あなたの一周忌のころでした。当時の私は確か中学二年生で、それはそれはいろいろとこじらせている真っ最中だったと思います。あれは不思議な出会いでした。思いもよらないような道筋であなたに出会い、特別というものを知りました。
初めてあなたが歌うのを見たとき、最初は少し面食らって、それから少し笑ってしまいました。だって正直、あなたはそんなに唄が得意ではなかったでしょう?びっくりしたんです。変なの、って思った。クソガキだったんです、許してほしい。変なの、って思いながら一曲聞き終えて、なぜかもう一度再生していて、気付いたら好きになっていました。
それからは楽しかった。CDを買いあさって、たくさん曲を聞き、画像を眺め、ブログを読み、歌詞をノートに書いたりもしました。十四歳だったからね。十四歳だったのにね。どっちが適切だと思います?
あなたは、ちょうど四十路に入ったところでしたね。当時思春期の小娘だった私に、たいしたことは分からないけれど。道半ば、でしたか?生きているあなたを、私は知る由もない。それでも、それでも間違いなく、あなたは私という人間の、骨になり血潮になりました。
あなたの遺した唄が、文字が、絵が、作品が、今でも好きでたまらないのです。私の心の中の神聖なところに、それらはあります。
生きるのが下手な私に、それでも楽しく生きていくすべを教えてくれたのはあなたでした。後ろ向きでもいい、ペシミストでもいい、不器用でも、お金がなくとも、社会のはみ出し者でも、それでも誇れる自分であることはできるのだと、あなたの生き様を見て学んだのです。
小さなしあわせを慈しむ美しさを、矛盾を抱える尊さを、神聖な言葉というものを、積み重なる時の重さを、堅物な己の愛し方を、生み出すことと費やすこととを、生きることの自惚れを、歪みに宿る自由を、消えはしない苦しみを、海に注ぐ河の、すべてを押し流す力を、思うよりちっぽけな私を、すべてを押し流したその先にある、豊かで美しい海を。
教えてくれたあなたに、会うことはかなわない。
それでもいい。それでいい。それがいい。そう思っています。
けれど、それでも時々思うのです。ねえ、ほんとうのあなたは、どんなひとでしたか。
写真や動画で見るあなたの痩せた小さな肩、かわいらしい丸い指先、明るくて癖のある声。あなたはその体で、どんなふうに生きていましたか。
あなたと出会って、干支が一回り回りました。あなたの変わることのない声を、私は今日も聞いています。どんどんとあなたとの年の差が縮まっていくのが、少しさみしい。運が良ければ、私はあなたの年をきっと追い越します。
あなたのいない十二年。何度もあなたをなぞって生きてきた。成人する日に聞こうと決めていた曲、ちゃんと聞きました。あなたの誕生日に、命日に、毎年あなたを想います。私、父の命日は忘れるくせに、変でしょう?でも、仕方ないじゃない、父の思い出はあるけれど、あなたのは無いんだから。父の命日は、思い出ほど偉大じゃない。でもあなたの命日は、あなたを辿る数少ないよすがの一つなんです。
ねえ、こんなに好きでいられるなんて、思ってもみなかった。あなたの言葉を何度も聞いて、見て、ふいに新しいことに気付く日が今でもあるんです。そのたびに、私はあなたを愛したことを誇らしく思う。そしてまた、さみしくなる。心の中のあなたばかりが大きくなっていくようで。
あなたの書いたブログ、全部データで残したんです。気持ち悪いのは承知ですよ。けれどそのくらいしなければ、いいや、そのくらいしたって、生きたあなたをついぞ知ることのない私には、あなたのことがきっとまだ分からない。きっと、分かっていない。分かったと思う日なんて、多分一生来ない。
だから。
もしもあなたに、会えるなら。
会ったって、なにも分かりやしないって、そう教えてくれませんか。
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