私の実家は、地名でいえば比較的都会に属する場所にある。だけど、正確に言うとその街の端の、しかも山の上にある住宅街だ。電車の駅からはかなり離れていて、急な坂を上った先にようやく家がある。住んでみれば静かで穏やかな場所なのだけれど、冬になるとひとつだけ、面倒なことがある。雪だ。

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夜に降りはじめた雪は、それを溶かしてくれるはずの太陽が出る前にどんどん積もっていく。朝起きた時、家の前の階段や坂道が真っ白に埋もれていると、私は登校の大変さを思って毎回ため息をついた。

雪が積もると、長靴が必需品になる。でも、高校生にもなって長靴を履くのは、どこか恥ずかしかった。周りがみんなそうならともかく、雪がたくさん積もるのは、いつも決まって山の上にある私の家の周辺だけ。山を下りてしまえば、雪どころか雨すら降っていないこともあるくらいで、むしろそのわずかな雪にすら「やった、積もってる!」とテンションが上がる人もいるくらいなのだ。

それに、私の通っていた高校は土足制だった。長靴で登校すれば、そのまま校内で一日過ごさなければならない。それがまた居心地が悪くて、私は毎回、学校で履き替える用のスニーカーを持参していた。

さらに大変なのは、時間の問題だった。私は家からかなり離れた場所にある高校に通っていたため、雪の日はいつも始発のバスに乗っていた。遅延や渋滞、スリップでバスが止まってしまうことを見越して、朝のまだ暗いうちに家を出なければならなかった。睡眠時間は大幅に削られるし、朝ごはんも落ち着いて食べられない。

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でも、不思議なことに、私はこの“始発で出かける雪の朝”が、実はけっこう好きだった。
まだ外は真っ暗で、街灯のオレンジの明かりだけがぼんやりと雪を照らしている。人の気配のないバスに揺られて、静かに流れる時間。いつもの通学路なのに、まるで世界がまるごと違って見えるようで、ほんの少しだけ物語の中に迷い込んだような気持ちになった。

とはいえ、現実はそう甘くない。途中からは、バスが渋滞とスリップ防止の徐行運転でまったく進まなくなり、もはや歩いた方が早いと判断して毎回途中下車をしなければならなかった。

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スニーカーを手に、滑りやすい坂道を一歩一歩慎重に下る。前後には、同じように通勤中らしい大人たちがいて、みんなしてえっほ、えっほと雪道を下っていく。寒いし、危ないし、遠いしで、決して楽ではない。だけど、こんなふうに見知らぬ誰かと、ひとつの困難を静かに共有しているような時間に、私はふと温かさを感じてしまう。

なにより、その朝、私はたまたま小学生の男の子と並んで坂を下りることになった。彼は私の長靴を見て、「おねえさんも長靴なんや」と少し照れくさそうに笑った。私は「雪すごいもんね」と返した。たったそれだけの会話だったけれど、ほんの数分前まで「高校生にもなって長靴なんて」と思っていた私は、なんだか少し救われたような気持ちになった。
ああ、今日、長靴で来てよかったな。そう思えた。

その後、山を下りきると、やっぱり嘘みたいに雪はなかった。バス停の周辺は、アスファルトがきれいに見えていて、空は青く澄んでいた。でも、その晴れた空の下で、私はどこか清々しく、胸を張って学校に向かった。

最近の「嬉しかったこと」をひとつ選ぶなら、私は迷わず、あの雪の朝を思い出す。あの非日常の中で、みんなで苦労した冬が私はやっぱり、好きだった。