誰とでも、初対面の人とでも壁を作ることなく話を広げられる人のことを、世間ではコミュ力おばけというらしい。しかし私はというと、まったくといっていいほどコミュニケーション能力がない人間だった。

そう思い込んでいただけかもしれない、と感じたのは最近のことである。

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大学は通信制だったので、同世代の学生さんよりも、人生の先輩といえる年代の方が多く、世代間を越えての交流が楽しいものであった。もちろん同世代の方と話す時間も私は好きではあるが、人生の先輩方といえる学生さんには、本当に沢山のことを教えてもらったのだ。

卒業後の進路のことや、卒業研究のこと、授業でのレポート課題のことなど、何気ない日常会話だったが、人生の先輩とこんなにも密になって話したことは、私にとって初めての経験だった。卒業式では連絡先も交換させてもらい、決してコミュ力おばけではなかった自分が殻を破り、背伸びした成果だったといえる。

年上の方と話すのは、正直とても気を遣うことだし、忖度で溢れかえった行為だと思い込んでいた。だが、大学で出逢った年上の学生さんは、人生の先輩として尊敬できる方ばかりだったので、コミュ力のない私も、伸び伸びと殻を破り、コミュニケーション力を身に着けていくことができたのだと思う。コミュニケーション能力、と一言で示し合わせるには、物足りないくらい、濃密な学生生活だったと今になって思える。

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それから、芸術大学に入学し、自分で卒業までの学修を管理し、モチベーションを保ちながら卒業制作を完成させ、卒業できたことを誇りに思っている。いつも私は、「私ってすごい、よく頑張ったわね」と発するよりも、「もうしんどい、疲れた」と口を開けば愚痴ばかりを発しているが、この大学卒業という成果においては、22年間の人生のなかで「背伸びできたこと」として捉え、自分で自分を褒めてあげたくなった。

それに加え、先に述べたように、卒業後も気にかけて連絡をくださり、エールと癒しを送ってくださる人生の先輩方のことを、一生の宝物として心に留めておきたいと思っている。そう思えたのは、高校時代にはまったく思い描いていなかった芸大生という道を、思い切って選んだ自分のおかげでもあるのだ。あのとき、背伸びして、あなたは正解だよ。と18歳の自分に伝えられるとしたら、エールを送ってやりたい。

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また一方で、どんな形であっても、コミュニケーションを取るということがどれだけ大事なことであるかを、あらためて思い知らされたのも大学に入ってからのことであった。高校年生になる直前でコロナ禍に突入し、人と人との距離をとることで接触を避け、感染を避けるという社会を生きることになったのだが、今思うと、とても人生の教訓になったと感じている。

スマホの画面越しでも、ビデオ通話やSNSで連絡をとりあえる現代だからこそ、距離というのは思っていたよりも、それほど遠くはなくて、コミュ力に自信がなかった私にとっては、人との距離を調整しながらコミュニケ―ションを積極的にしていく練習ができる良い機会に繋がったのだ。マスク生活も、肯定的に捉えると、人にどう見られているかわからない口の動きを隠せるから、いつもより話したい事を恥ずかしがることなく胸を張って話すことができる。もちろん、感染対策のために話し込むことは避けるべきだとされていたが、その制約された距離感が、私をコミュ力のない無能な人間から、コミュニケーションを取りたくて仕方のないお話上手な大人への第一歩を踏み出させたように思う。

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人間というのは不思議な生き物であって、「できない」と思い込むと否定的な考えばかりが浮かぶが、できるかもしれない、という小さな可能性に目を向けるだけで、目の前の世界は大きく変わっていくのだ。