好きになれてよかった。架空の人物への恋は頑張る自分と出会う一歩に

私は、この25年もの間、数えきれないほどの恋をしたことがある。人を好きになることはいいことだ。自分が思っている分だけ、力が漲っていつも以上の力を発揮することができる。例えば、いつも以上に、おしゃれしてきたり、運動して身体を良くしたりすることが挙げられる。
そんななか、私には、好きだった人がいた。それは、想いを伝えても伝えなくても関係ない、叶わない片思いだ。
恋をするには早い11歳に好きになった人がいた。
彼は、傲慢で他人に冷たくする冷酷な性格で、自分に自信のあるところもある。背が高く、頭が良く、顔が日本アイドル並みにかっこよく、茶髪で切れ長の青い目をした顔が特徴。会社の社長、総取締を務めている。
身内には、年の離れた弟がいる。両親は幼くして事故で亡くし、親戚も引き取ってもらうことがなく、結局、幼少期は弟と施設で預けられて過ごした。その何年か後に、有名な会社の社長が施設に支援金の援助で訪問してきたことがきっかけで、チェスで勝負を持ちかけて勝ったことから、弟と共にその社長の養子になった。その後は、英才教育を強いられることになるが、そんな過酷な状況下でも弟ともに乗り越えて、見事に社長の座を勝ち取ることができた。
その後は、主人公とのカードゲームの勝負で敗北したことがきっかけで、その人物との勝負を志して、成長していく。
私は、初めに、11歳といったが正式には、17歳に好きになった。それは、17歳のある日のこと、映画作品に彼が出ることも知って何となく観に行く感覚でいた。
その時に、成長した彼の声とライバルでもある主人公とともに戦う場面を観て、ときめいた。それっきり、彼のことが好きになった。何も手に付けられないほどに好きになった。でも、何も手に付けられないとなると、学校に何しに来ているんだという話にもなるため、学校の勉強は怠らず、部活動もいつも通りに毎日参加するようにした。
とにかく、その時は、「リア充」という言葉とかが流行っていたが、何よりも彼のことが好きでしょうがなかった。もちろん、ほかにも、かっこいい人はいたし、現実の人にもかっこいい人はごまんといる。実際に、いまでも言われている言葉だと「国宝級イケメン」といわれている人もいるぐらいだ。私は、それでも、彼のかっこよさには叶わなかった。
「彼に見合う人になりたい」と、そう思って、学校の成績は上位にキープし、得意な英語を生かして、アメリカのホームステイを経験し、英検2級を取得するよう頑張って勉強しながらも、部活動のバレーボール部にもしっかりと参加するよう努めた。
特に、文系選抜クラスだったため、英語だけになるかと思うが、苦手である生物や数学にも努力して勉強した。それは、彼が理系であるからもあって、1人でも頑張ろうと精進した。
その後も、20歳まで好きだった。ついには、「結婚したい」とも思うようになったぐらいだ。叶わぬ片思いをしているのに、彼の為ならと思って頑張ることも苦ではなかった。
彼の足を組んで座って、腕を組んでいる姿はとても尊い存在に感じた。そして、たまに闘う時に魅せる笑顔がとてもかっこよくて好きだった。
実際に、彼に会ったことは何回かあった。でも、話すことはなかったし、スキンシップもなかった。ファンサービスはされたことはある。やっぱり、公に出る人は、それぞれの人に求めるものをご存じであるのだと思った。彼に思いを伝えたことはあるし、表現したこともある。思いは伝えてはいても、彼からの返事はなかった。
でも、心の底から、「好きになってよかった」と思っている。
私の好きだった相手は、架空の人物であっても、本気で頑張っていた自分がいるから今がある。
そう、思っている。
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