ガラケー越しに毎晩繋いだ、19歳の恋と春の記憶

19歳の頃に付き合っていた隣の席の男の子と、毎晩のように電話をし続けていた。
みんながスマホを片手に過ごしている姿がアタリマエになっていた時、わたしはなぜかガラケーを使っていた。彼との電話も耳の下と枕の上に携帯を挟んで、横になりながらおしゃべりを続けていた。
令和になる頃。
わたしは財布とケータイを失くしてしまい、父親にとんでもなく怒られて、反省の意味でガラケーを支給されていた。当然、すぐに調べることもできない。
大学のパソコンで地図を印刷して、目印になるお店やコンビニに丸をつける。電車をはじめとする公共交通機関は、前もって前後5本分調べて向かっていた。
おかげさまで、余裕を持って行動する癖は付けることができたけれど、気軽に音楽を聴くことができなかったり、映画を視聴することができなかったり……それに「連絡先の交換」に関しては、かなりのハードルになっていた。
真っ先に「LINEできてなくて、電話番号でもいいですか?」と聞いてくる人間と、人は関わりたいだろうか? わたしなら、素直に嫌だと言う気持ちが勝つと思う。怖いと言う気持ちの方が、優ってしまうだろうから。
そんな中で、前述する隣の席の男の子は、いろんな映画のDVDを貸してくれていた。わたしが授業で、「かくかくしかじか、こう言う事情で……」と話したことを覚えていてくれて、次の授業に「この映画、よかったら見ますか?」と言ってくれた子だった。
学校終わりに、学生の懐が痛まない価格の喫茶店で、映画の感想を伝えるのが習慣化した春。彼から告白されて付き合うことになった。
さっきまで会っていたのに、家に帰ってから電話をして、他愛もない会話をする。帰り道に見つけた公園や、彼の会話に出てくる不思議な友だちの話。その一つ一つが、こんなにも愛おしく、楽しいコトだとは思いもしなかった。
それでも、喧嘩もしたし、連絡がつかない日もあった。
わたしは学生寮にいて、彼は県外の実家から通学をしていて、学校がなければ約束もせずにフラッと会えないのに。
だから、彼の作った悲しみで夜を過ごす日もあれば、彼の創り出してくれた楽しさで夜を明かすこともあった。
学校を卒業して、社会人になった今。
こんな経験をすることはもう二度とないだろうし、あの若い頃の自分の気持ちを上書きすることは、正直ないと思う。
わたしが耐えきれなくなって、お金を置いてお店を出た時に、間違えて1万円札を置いて行き、それを片手に何時間も探しに来てくれた彼との恋は、若さの炎に焼かれ燃え尽きてしまった。
ちょっとカッコ悪くて、公園で何時間も遊んでても時間が足りないくらいに楽しくて、なんで終電なんてあるんだろうって、何度も何度も思ったけれど。
きっと、これからのわたしには、気張らずに背伸びもせず。等身大の自分でゆったりとした夜を過ごす人が、きっと現れるハズだから。
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