今から約9年前の茹だるような夏の日の出来事。おばあちゃんの家で飼っていた愛犬が死んだ。癌だった。14年半生きて、その犬種にしては長生きだったそう。世間では最も危険な犬種としてよく名を挙げられる、アメリカン・ピットブル。名前はデビル。悪魔なんて名前を付けられてはいたが、愛情を持って育てられていたと思う。皆、デビと呼んでいた。

デビはとても人懐っこく、私が物心着いた時には既におばあちゃんの家に居た。食いしん坊で、バウムクーヘンと梨や西瓜と言ったものが大好きだった。鼻先はピンク色で、目の周りは黒く、パンダみたいだった。おばあちゃんの家では他にも数匹犬を飼っていたが、私にはデビが1番だった。歳が1歳しか変わらないのと、リビングにいて過ごす時間が1番長かったからかもしれない。

ソファを分捕ってイビキをかきながら寝ていたり、寝ながらとてつもなく臭いオナラをしたり、寝室で一緒に遊んだり。頭を撫でてやると長い尻尾をソファに叩き付けるように勢いよく振り、もっと撫でてくれと言わんばかりに腕に前足を乗せてこちらを見つめてくる。私がご飯を食べていると隣に座り、涎を垂らしながら見つめてくる。デビとは沢山の思い出があった。

だからこそ、デビが死んだあの日は‘’悲しい‘’とかそんな単純な言葉では表せなかった。大きな絶望に苛まれたのを覚えている。痙攣を起こし、遠吠えを起こし、とても苦しんだろう。犬が痙攣を起こすのは、人間が起こすものよりとてもとても苦しいものだそうだ。だからこそ、おばあちゃんは安楽死を選んだ。集まれる限りの家族が集まってデビの最期を看取った。死体となってしまったデビを家に連れて帰り、ベッドへ寝かせた。まだ暖かな温もりがあった。寝ているだけに見えるようないつもの可愛くて愛おしい寝顔だった。でもそれも時間の経過につれて冷たく、固くなっていった。‘’死んだ‘’その事実が嫌という程伸し掛ってきた。おばあちゃんと一晩中撫で続けたのを覚えている。明日には火葬場に連れて行き、お骨にしなきゃならない。デビと過ごせる最後の夜だった。朝は来て欲しくなかった。死んでしまっていても、デビは確かにそこに居たから。

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次の日、デビを火葬場に連れて行った。デビと最後のお別れをしても、火葬場から煙が上がっても、何故だか思うように泣けなかった。心は張り裂けそうなほど苦しいのに、少しでも心を楽にするために泣きたいのに、涙は出なかった。デビがお骨になって帰ってきても、それは変わらなかった。家に帰れば、デビはいる気がしたから。いつものようにドアを開ければ、階段の上からデビが顔を覗かせる気がしたから。でも、そんな事ある訳なくて。家に帰って、お骨を抱いた瞬間、涙が止めどなく溢れ出した。もう居ない、もう居ないんだ、デビは。そんなどうしようもない事実がどうしようもなく悲しくて、ひたすら泣いた。もっと撫でてやればよかった、遊んでやればよかった。そんなありきたりな後悔ばかりが頭を巡った。

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デビが死んでからというもの、度々デビが夢に出てくるようになった。そうして起きる度に、どうしようもない悲しみが胸に広がる。「デビに会いたい」その気持ちだけが胸を埋めつくした。私の親友であり、相棒であり、弟であったデビ。夢でしか会えなくても、これはずっと変わらない事実だ。朝が来るまで、夢の中でデビと遊ぶ。もう痛い所はないんだね、元気なんだね。虹の橋で元気にやってるよと私に伝えたかったのかもしれないなんて、都合のいい事ばかり考えて。

そして今私の左腕にはデビがいる。私の古傷を守るようにデビが彫ってある。タトゥーなんてまだまだ偏見ばかりだろうけど、夢に出てこなくなった代わりに、私の傍にデビは居てくれる。