仕事は人生の責任までは取ってくれない。そう気づいた四年目の春

新卒で入った会社に勤めて四年目になる。現在二度目の休職中だ。
私は恐らく、会社との距離の取り方に失敗した人間だと思う。一生懸命になり過ぎた。もう少し肩の力を抜けば良かった。役に立とうと必死だった自分を、責める気にはならないけれど。
サービス業で、いつもお客様を第一に考える会社だった。おもてなしや気遣いなど、ホスピタリティの精神を大事にしていた。社員には優しい人が多く、パートの皆さんにもとても良くしてもらった。勤務時間が長い、給料が安い、そういう不満はあったけれど、職場としては居心地の良い場所だった。
それでも私は休職してしまった。ある朝、突然起き上がれなくなってしまい、適応障害と診断された。適応障害は原因から離れることで回復する、つまり仕事を休むということ。当時は現場の責任者も任されており、穴を開けてしまう申し訳なさで消えたくなった。その反面、やっと休めたとも思った。泣きながら眠った。
仕事を任せてもらえるのが嬉しかった。接客のセンスが良いと言われたし、器用だねと褒められた。鈍臭い子ども時代を過ごした私が、そんな言葉を掛けられるなんて。初めて居場所を得られた気がした。どんどん仕事を引き受けた。会社からすれば便利な駒だろう。それでも良かった。ずっとここに居たかったから。
徐々に、働きたい自分と休みたい自分が乖離していく。疲れていても仕事は終わらず、増えていく一方で、家に帰ると風呂にも入れず倒れ込むように寝ていた。休みの日も家から一歩も出られず、眠ってばかり。そんな日々を半年くらい続けていたけれど、自分でも異常に気付かなかった。
休職し、突然の長い休みを得ても、最初はベッドに横たわることしかできず。天井を眺め、時間が過ぎるのを待った。上司や先輩に仕事を調整してもらうのがあまりに苦しかったことを覚えている。けれども、仕事も何とかなり、休みに慣れてくると冷静な自分が戻ってきて。あれ?なんでこんなに働いているのだっけ?
会社は利益を得るための場所であり、労働と引き換えに賃金を貰う、その対価で成り立っている。身体を壊しても、精神を病んでも、会社は助けてくれない。生きる全てにしてはいけないと、当たり前なのに忘れていた。他にも居場所を作らなかったことを反省している。
三ヶ月ほどで復職し、一年休まず働いたら、再び休職することになった。もう万全だろうと、自分でも過信してしまった。また起き上がれない。しかしながら、昨年よりよっぽど落ち着いた気持ちでいる。しっかり休めば良くなることを学んだので。
今の職場に戻るかどうかは、まだ決めかねている。悪い場所ではないのだけれど、長く働くには体力勝負なところがあり、私も無茶な働き方をした。必要とされることがやっぱり嬉しくて、つい働き過ぎてしまう。生きていく上で会社に居る時間は長いが、仕事が全てという訳ではないし、人生の責任までは取ってくれない。程よく長く居られる付き合い方をするべきなのだと思う。
大丈夫。仕事ができなくても、会社に居られなくても、案外生きていける。今はそう考えている。
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