入試直前の祖父の死 「早く朝が来てほしいような」

入試前日、緊張で眠れないのはごく普通のこと。翌日に大学入試を控えたあの夜、私は入試に対する緊張に加え、別の理由で苦しんでいた。
大学入試の3日前、父方の祖父が亡くなった。学校から帰ると、母からそう告げられた。それは、私にとって初めて身近に起こった不幸事ということと、3日後に入試を控えていることとが重なり、思わず涙が出た。一瞬、時が止まったかのようだった。私は祖父の告別式に参列できるのか。あるいは、大学入試を受験することができるのか。その両面の不安が私の頭をよぎった。結局、お通夜は祖父が亡くなった翌日、告別式が翌々日になり、入試と重なることはなかった。
お通夜当日、私は学校を忌引きで休んだ。忌引きで休むのは人生で初めてだった。学校を休んでいるので時間はあるものの、精神的ショックで勉強に身が入らない。そもそも普段と異なるこの状況下で私は勉強していて良いのかというためらいがあった。本来なら、入試直前に今まで行ってきた受験勉強のおさらいをする予定だったけれど、結局しなかった、というか、できなかったのだ。
告別式当日、会場には厳かな雰囲気が流れていた。私はどことなく落ち着かなかった。棺桶に入れられた祖父の姿を見た時、人間は亡くなるとこうなるのかと上手く言葉では表現できない何とも言えない想いが込み上げてきた。会場では昼食用のお弁当が振る舞われたが、ほとんど喉を通らなかった。入試直前の親族の死は私にとってかなりの重荷だった。火葬が終わると骨上げが執り行われた。それは私にとってあまりにも刺激の強い光景だった。その日の晩、私は翌日に入試を控えていることと、日中の火葬場での光景が思い出され、なかなか寝付けなかった。頭の中では何度もそのシーンが再生された。布団の中でただ一人、その状況に耐えるのは苦しくて、早く朝が来て欲しいような、来て欲しくないような、複雑な心境だった。
そして、入試当日。私はクラスメイトと予め会場まで一緒に行く約束をしていたけれど、母が私を心配に思ったのか、母も会場まで同行してくれた。電車に乗り、私とクラスメイトは隣同士に座り、母が少し離れたところに座っていた。クラスメイトは電車内で英単語の本を開き、ラストの追い込みをしていた。私も同じようにやろうかと思ったけれど、あえてしないことにした。私にとって今は知識を詰め込むよりも心を落ち着かせることの方が優先だと思った。
会場に着き、教室に入った。私は午前と午後の2回試験を受けることになっていた。2回のうち、どちらか一方で合格していれば問題なかった。まず、午前の試験が始まった。周りの受験者の筆記具を動かす音が会場に響き渡る。緊張していたけれど、比較的落ち着いて取り組むことができた。試験は無事終了し、昼食の時間になった。私は母が作ってくれたお弁当を広げるが食が進まない。緊張と昨日の火葬場での光景を思い出して心が押しつぶされそうになった。結局、昼食は少ししか食べることができなかった。昼食後、別の教室で受験しているクラスメイトと少しだけ話をし、気を紛らわせた。
そして、午後の試験が始まった。途中までは順調だったけれど、急に気分が悪くなった。やはり、昨日の火葬場での光景が目に浮かんだ。告別式が終わるまではなるべくあまり取り乱さないように振る舞っていたけれど、その抑え込んでいた心の痛みや苦しみに突如襲われるかのようだった。私は試験監督者に体調不良を申し出ようか迷った。しかし、何とか心を落ち着かせ、試験が終了した。午後の試験はダメだろうなとほぼ確信していた。そして、疲れ切った私は半ば放心状態でクラスメイトと共に帰った。
合格発表の日。不安でたまらなかった。そして、私は午前の試験で合格していた。本当に嬉しかった。と同時に安堵した。後日、担任の先生に合格を伝えた時、先生も一緒になって喜んでくれた。私はその大学に進学し、4年後、無事に卒業した。私にとってこの体験は大きな試練だったと捉えている。それを乗り越えることができた。そんな私を今、この場で褒めてあげたい。
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