私が小学生の頃、ひいおばあちゃんは家の1階に住んでいて、私たちは2階に暮らしていた。
家族とは言っても、日常的に顔を合わせる関係というよりは、「下に行けばいつでも会える」という距離感で、そこにいるのが当たり前だった。

ひいおばあちゃんは私が生まれた時からかずっととても可愛がってくれていた。笑顔がふにゃふにゃなひいおばあちゃん。誰よりも私を甘やかし、「ママ達には内緒よ」っておやつをよくくれた。

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私が小学生4年生になる頃には、ひいおばあちゃんは糖尿病で寝たきりになっていた。
毎日ヘルパーさんが来たり、私のおばあちゃんが付き添っていて、一日中ベッドの上で静かに過ごしていた。
私は毎日のように同じ友達の家に遊びに行っていた。学校が終わったらランドセルを放り出して、自転車にまたがり、急いで友人の家へ向かう。自転車置き場に行くにはひいおばあちゃんの部屋の横を通らなければいけなくて、そのたびにふと顔を見たり、「行ってくるね」と声をかけたりした。ときには寝ているときもあって、そっとそのまま通り過ぎることもあった。

ある日、いつも通り友人の家に向かおうとひいおばあちゃんの部屋の横を通ると名前を呼ばれた。
ふいに聞こえた声に立ち止まって部屋に入ると、ひいおばあちゃんが私の手を強く、強く握った。

私の顔をじっと見て、目に涙を浮かべて、「怖いの」と言った。

「怖いの。お願いだから今だけ手を握ってくれない?」

私は驚いた。こんなひいおばあちゃんは見たことがなくて、そもそも泣く大人を見たことがあまり無くて。びっくりして、そして少しだけ怖かった。
子どもだった私には、ひいおばあちゃんの言う“怖い”が何を指しているのか、まったく分からなかった。
死に対してだったのか、体の変化に対してだったのか。
大人になった今でも答えははっきりとはわからない。

ただひとつ分かるのは、あのときのひいおばあちゃんの手の震えや、声の震えや、涙の重さは、何十年も生きた人一人でも到底抱えきれない恐怖からくるものだったということ。

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でも、小学生の私はそのすべてに圧倒されてしまった。
あの空気の中に、私一人。手を握って、涙を見て、「怖いの」と言われて。
その重さにどうしたらいいか分からなかった。
子供ながらに冷静を装いながら、怖がっていることを顔に出さないように…と思いながら、逃げたくなった私はこう言った。
「でも私、友達の家に遊びに行かなくちゃいけないんだ。約束してるから」
そしてごめんねと一言添えて、
そっと手を離し、部屋を出ていった。
怖かった子供の頃の自分の気持ちは痛いほど覚えてる。でも大人になった今、置いて行かれたひいおばあちゃんのことを思うと胸がぎゅっと締め付けられる。

ひいおばあちゃん、ごめんね。
その記憶は、大人になった今でも鮮やかに頭にこびりついてる。

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ひいおばあちゃんはその後一年ほど、同じように寝たきりの生活を送った。
そしてある日、家族全員に看取られて旅立った。
あの「怖いの」という言葉が私に助けを求めてくれたものだったのなら、その手を離してしまった私の罪は重い。
思い出すたびに、自分を責めたくなる。でも、子供だった自分を思うと「あんなひいおばあちゃんを見て、びっくりしたよね」って抱きしめてあげたくもなる。
どうしたらいいか分からなかったのだ。
それにひいおばあちゃんはきっと、私のことを責めたりしない人だってことも分かっている。

もう一度会えたなら伝えたい。
あのとき、寄り添ってあげられなくてごめんね。
たった一度くらい、友達と遊ぶ約束を断って手を握っていてあげればよかった。

ひいおばあちゃんの優しさは、今でもしっかり覚えている。もう2度と会えなくても、見守ってくれているって私は信じている。
もし時を戻せるなら、あの日に戻って手を握り返したい。
そして今度は、その手を絶対離さない。