わたしたちの強いとこは、目に見えない痛みに気づけるとこだと思う。

私は今、障害児を育てている。
まるで鏡の中を通って、裏側のひっくり返った不思議な世界にいるように、今まで私がいた世界とは全く違う世界を体験している。
こうならなければ見えなかった世界が、今、私には見えている。
そこには、声にならない声、見えていなかった痛みを抱える人たちがたくさんいた。

だけど、この現実を口にすると、なぜか「言ってはいけない空気」がつきまとう。
「その話、言わないほうがいいよ」
女の私だから言いやすいのか、そんな言葉で、本当のことが、なかったことにされていく。

でも私は思う。
見えない痛みに気づけること、
そして、その痛みを、言葉にできることは、いつか誰かを助けることにもつながるのではないかと。

息子たちの病院の一角で、いろんな事情からパニック発作などで働けなくなった女性たちを集め、「どうすれば、その人らしく働けるか」を一緒に考えるイベントを開催してる人がいる。
そして、障害があってもなくてもみんな一緒に、と唄っている。
病院からも制度からも“捨てられた”お母さんたちの力にもなろうとしているその姿に、私は心から尊敬の気持ちを抱いている。

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働けない人が、働ける方法で、働ける仕組みを作りたい。
そんな思いを、私も持つようになった。

「わたしたちにはできる」そう思えた瞬間がある。
小児専門のとある病院には、たくさんの女性たちがボランティアとして働いていた。
縫い物が得意な人、パソコンが使える人、コミュニケーションが得意な人——それぞれが、自分にできることで社会とつながっていた。
私が「働けない人が、働ける方法で、働ける仕組みを作りたい」と言ったとき、賛同してくれたのは、全員が女性だった。
男性にも話したけれど、無関心さが壁になった。

子育てって、女性だとか男性だとか関係なく、 親になった日は一緒のはずだ。 だけど、子育てと家事は、授乳(母乳)の有無に関わらず母親がメインなのだ。
現実では、育児も家事も、いつの間にか「母親のもの」になってしまう。

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2024年の年末、海外のブッククラブにオンラインで参加した。
そこには色々な国からの参加者が集まっていた。その日のテーマは日本の本だった。「日本では子どもを産みたくない」という声が上がっていた。
子供を産んだ後、母親が働き先に困ったり、預け先に困ってる時の状況が本に書かれていた。

日本は好きだけど、育児と仕事の環境が整っていない、と。
今の日本の育児と仕事の環境を本で知り、ショッキングだったらしい。 日本は好きだけど、そこが整っていないと。 ほんとそうだ。
私の知り合いは、ずいぶん前から女性が働きながら育児ができるよう戦っている。 その姿に共感し、感動する。 

私も同じように感じてきたし、それでも声を上げ続けている女性たちの姿に、何度も心を動かされた。
日本特有の「出る杭は打たれる」空気。
それが、みんなの言葉を沈黙に変えている。
私たちにしか感じ取れないこと、 私たちにしかできないことは、きっとたくさんある。
今の私たちにできるのは、ほんの小さな一歩かもしれないけど、それぞれが持ってる強みを集めて、大きな一歩になったらいいなと思ってる。

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私はたくさん泣いてきた。
でも、泣いて泣いて、涙が枯れたその先に、少しずつ見えてきたものがある。
私は、母として、女性として、きっと前より強くなった。
きっと同じように、いっぱい泣いて強くなった女性がたくさんいるだろう。
私は、たまたまこの募集を見つけてこうして書くことができ、実際書き終わってから提出するまで、「読まれる」という覚悟が決まるまで3日かかった。
そして今、一歩を踏み出せた気がしてる。
賛同するだけでもいい。声を上げるだけでいい。
きっと、わたしたちにはできる。