じめじめとした夏を匂わすような日、そんな日に傘を忘れて雨に降られる、なんてことはほとんどない。でもときどき訪れるそんな雨の日には、初めてできた彼氏のことを思い出す。正確には”初めての彼氏と別れた日”のことかもしれない。「女の恋は上書き保存」というように、私にとっての初めての彼氏も今となっては淡い思い出となってしまっている。でも、別れた日のことだけは鮮明に覚えている。

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その彼とは高校3年生の時に付き合い、浪人期を経て、大学1年生の夏を感じるような梅雨の日に別れた。高校3年生で初めて同じクラスになった彼からの好意は感じとっていたけれど、当時の私は恋愛には興味はなかった。でもその好意を無視できるほど鈍感でもなかったし、彼のことを嫌いじゃなかった。それに、そのときちょうど私の心は不安定だった。部活動の人間関係のいざこざで学校で倒れたり、トラブルは尽きなかった。だから心の拠り所も欲しかったんだと思う。癒しを求めるように、私たちは付き合いはじめた。

高校3年生でお互い理系の一般受験だから一緒に勉強したり、しなかったり、浪人もして、コロナ禍の大学生に突入していたから、彼とはデートや青春らしい恋愛も多くはなかった。男子高校生なんてやりたい盛りだし、そんなことがちょこっとずつあっただけ。

私がさっぱりしすぎていたし、振り返っても私は彼に対して恋愛の「好き」という感情は持っていなかった。だから浪人期に勉強に力を入れ始めると、彼と会う時間すら惜しくなってきて次第に会わなくなっていた。そのときは「受験が終わったらね」なんて言っていたけれど、実際の受験後には彼と付き合う気力すら無くなっていた。やっぱりはじめから好きじゃなったんだなと思った。ただ、受験後は彼の方が受験全落ちかもしれないと不安定だったから「今の状態で別れるのは人としてよくないんじゃないか」という善人のようなエゴで、切れそうな糸に引き止められながら形式上は付き合っていた。結果として、彼も進学先が無事決まったけれど、そこからコロナで会えなくなり、それこそ私の気持ちはとうに冷めていて、別れを切り出すタイミングをずっと待っていた。

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少しコロナが落ち着いた、夏の気配がすぐそこまで来ている梅雨のある日、久しぶりに顔を合わせた。いつものように普通に会って、普通に話して、夕日が沈んでくる時間になり「じゃあね」と、いつも通りに今日という日も終わるつもりだった。でも、心のどこかでこのままじゃ駄目だと思った。その思いが強くなって吉良。「ごめん、待って」と、後ろ姿の彼を追いかけて引き止めた。空は重い影に覆われ始めていた。「話があるの」と言ったとき、彼はすでに分かっているかのような引きつった笑顔を見せて「どうしたの?」と尋ねた。

「別れたい」と告げても彼の表情は変わらない。この頃にはもう私の心はいっぱいいっぱいだったのだ。拠り所を求めるようにして付き合った彼から、次第に寄りかかられすぎるようになってしまった。部活で最後までレギュラーになれなかったこと、受験勉強がうまくいかないこと、元カノとの関係…私にはどうしようもできない彼の悩みや不安が、次第私にに積もっていった。これが私にも解消を手伝えるものだったらまだよかった。でも私じゃなんにもできないことだったから、ただ重たかった。それに最後まで人として嫌ではなかっただけで、好きになんてなっていなかった。

ぽつぽつ…雨が降ってきた。
「重くてごめんね。気づけなくてごめんね」彼はもう先はないと分かっているように、ただ謝った。そんなことを言ってほしかった訳じゃないけれど、今の私にはこれ以上に伝え方は分からなくて、うつむいたままだった。

ザーーーッ…雨が強くなってきた。
「別れる時に雨降るなんて漫画見たいだね」と苦笑いしながら、風邪ひくと困るから帰ろうか、と言ったり。私たちの関係が本当に終わることが感じられてきた。「最後に握手してもいい?」と言われ、私はそれに応じた。私たちは今日で終わる。最後まで優しい人だと思った。そうだ、私は彼の優しさに支えられていたことを、この時やっと思い出した。

「私もごめんね」と思いながら、雨なのか涙なのか分からないものがずっと顔を伝っていた。人の優しさは、忘れちゃいけない。でも次の恋は好きになった人とちゃんと恋をしよう。そう決めた。