初めてだった。一言交わした瞬間「もっと話したい。仲良くなりたい」と異性に対して思ったのは。なんとも言えない懐かしさと胸の高鳴り。その日から彼が私の心に住み着いた。入社前の研修での出会いだった。

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自然と連絡を取り合うようになった。彼から「電話しよう」「会おう」と誘ってくれ、とんとん拍子で進んでいった。

2人で過ごす時間は癒しそのものであった。どうでもいい話をしながら笑い合う。のんびり散歩する。ごはんを一緒に食べる。ドライブをする。好きな本の話をする。彼は私の話をよく聞いてくれた。そして私のことを褒め、認めてくれる言葉を沢山かけてくれた。

私も彼の話が好きだった。一緒に居て落ち着く人って一体何人いるんだろうか。出会って間もなかったが、「落ち着くね」と笑い合い、お互いに居心地の良さを感じていた。優しく微笑みかけてくれ、大切に接してくれる彼に自然と惹かれる自分に気づいた。

「これからもこの人の傍にいたい」と真っすぐ思った。純度100%の「好き」が心の中で誕生した瞬間だった。私にとっては5年ぶりの恋だった。

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でもその幸せな時間は間もなく崩壊した。それは2回目のデートだった。彼には女友達が複数いて、2人でも普通に会うこと、元カノとの恋愛はこれまで長続きしたことがないことを知った。人付き合いの仕方があることは理解している。

しかし、私のことを沢山褒めてくれて尊敬していると伝えてくれ、優しく微笑む彼は、私を恋人候補の1人として見てくれているのか、それとも友達として見ているのかわからなくなってしまった。

その日のデート終わり、私は「また2人で会える?」と尋ねた。「え?なんで?会えるよ」と心底驚いた顔をする彼。当然のように言う「会えるよ」という言葉に、安堵の波が心に押し寄せる。「仕事始まったらちゃんと相談してきてほしい。我慢の『が』ですぐに吐き出してきて。こんないい子がつらい思いをして会社辞めるの俺は嫌やで」と言い残していった彼。やっぱり信じていいんだと、好きだと思った私。それでもなぜか心は満たされていなかった。一晩眠ることができなかった。

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4月に入ってから、会社で会えば必ず1日1回は声を掛けてくれた。わざわざ私の席にまで来てくれて。期待した。飲みの場にも誘ってくれた。日程が合わないため断ったが、数日後「あやの予定終わったら同期で花見行こ」と誘ってくれた。嬉しかった。純粋に。でも次2人で会うのはいつ?目途は立たずのままだった。

私のことを好きなのか、それともただの友達なのか。悩んだ。つらかった。そして耐えられなくなった。曖昧な宙ぶらりんなこの関係に。このままでは私は幸せになれない。そう思った私は彼を食事に誘った。もう腹を括っていた。

居酒屋で彼から「あやを桜に誘ったのは、出会いの場になればいいと思って」と伝えられた。頭が真っ白になった。そして全てを悟った。彼から私に近づいてきたが、中途半端な気持ちであることに罪悪感を持ち、私を傷つけないように、自分が悪者にならないようにそっと私から離れようとしていたことを。言葉で「付き合えない、恋愛対象にはならなかった」と伝えられるより心を抉られた感覚があった。

いつものように家まで送ってくれた彼。コーヒーを片手にゆっくりどうでもいい話をしながら坂道を上る2人。この時間がずっと続いてほしいと思った。手放したくなかった。肩が触れ合う距離。見つめ合う2人。この居心地の良さを手放すと決めた覚悟が緩む。ふいに私は「またごはん行こうね」と言ってしまった。彼も「次は折半やな」と答える。すぐにだめだと頭を振る。傷つく覚悟はできている。もう傷はついている。

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「好きやで」と伝えた。
少しの沈黙が続く。

「自分の中途半端な気持ちのまま付き合うのは傷つけてしまう。あやのことを知っていくうえでほんまに良い子ってことわかったからこそ、俺には付き合えない」

案の定の返答に私はすっきりした。はっきり付き合えないと言われて、もう期待することがなくなったから。自分の気持ちを素直に伝えて言い残すことがなかったから。幸せを上回った不安な恋愛を手放した瞬間だった。もうとっくにコーヒーは冷めていた。

彼は人を傷つけてしまうこと、自分が傷つくことに対し、怯えていた。だから何も言わず私から離れようとした。傷つけたくない気持ちでした行動、言葉が却って私を苦しめた。
傷つけたり、傷つけられたり、そんなの1ミリもない人間なんていない。だからこそ、そうなってしまった時に自分や相手にどう歩み寄れるかを大切にすべきなのではないだろうか。

そして、どんな時でも自分が幸せでいるための選択をするべきだ。そのためには時につらい覚悟と選択をしなければならない。しかし私は彼との関係を手放したことで、しっかり前を向けるようになった。自分の幸せは自分で掴むと決めたから。

桜が散った今、私はまた1つ強くなれたのかもしれない。