中高生の頃の私は、手の届かないものに憧れて、届かせようと必死に背伸びをしていた。ほんの少しでも先の自分に近づきたくて、つま先で立ち続けるような日々だった。

それなのに、最近の私は、誰かに自分を大きく見せるための背伸びばかりをしている気がする。これは、そんな風に自分に違和感を覚えて悩んでいた時期の話だ。

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中高生の頃は、憧れの先輩や難関の検定、偏差値の高い学校を見上げて、「こうなりたい」という思いだけで突き動かされていた。

特に大学受験の勉強は、到達点のないマラソンのようだった。ここまでやれば十分、という終わりが見えず、一年以上も先の本番に向けて、ただ机に向かい続けるしかない。頑張っても結果が出ない。偏差値は思うように上がらない。現状維持は後退と同じだと感じて、いつも焦っていた。

それでも粘れたのは、隣で頑張っている仲間たちがいたからだった。しんどくても、諦めたくない目標があったからだった。
毎日が、「届かせたい」という気持ちでいっぱいだった。努力で足りない分は、背伸びで補うしかない。そんな思いで、必死だった。

でも、結果は第一志望の不合格だった。合格した大学の学部は志望通りだったから、夢を叶えるために進む道としては問題ないはずだった。それでも、仲間が第一志望や「一流」と言われる大学に合格していく中、自分だけが取り残されたような気持ちになって、悔しさを押し込めながら下唇を噛む日々が続いた。

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大学に入学してからの生活も、思っていたようにはいかなかった。授業のコマ数は高校より少なく、時間はあるのに、何をすればいいのかが分からなかった。慣れない土地での一人暮らし、慣れない講義。焦る気持ちだけが先走って、何かをしなければと思うのに、動き出せない。

現状維持は退化だと、あれほど信じていたはずなのに、自分は何もできていない。そんな無力感に押しつぶされそうになった。

夏休みなどに高校の同級生や後輩に会うと、さらにその気持ちは増していった。みんなに置いていかれているような気がして、自分の現状を話すのが怖くなった。

「最近どう?」と聞かれるたびに、「慣れない一人暮らしが大変で……」とか、「志望の学部に行けたから満足してるよ」といった、半分だけ本当のことを口にした。虚勢だった。

大好きなクラスメイトだからこそ、本当の自分を見せて幻滅されたくなかった。今のままの自分では、釣り合わないような気がしていた。

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それでも、時間は流れ、季節は巡った。第一志望に落ちたという事実は変わらない。私は今も、あの頃一番行きたかった大学ではない場所で夢を追いかけている。

でも、いつの間にか、誰かに見せるためだけの背伸びをしなくなっていた。正確に言えば、「しなければ」と自分を追い立てる感情が、少しずつ薄れていったのだ。

その大学は、第一志望ではなかったけれど、その分、授業のペースについていく余裕があった。だから私は、その余裕を使って、他のことに力を注いだ。興味のある資格の勉強をしたり、外部のセミナーに参加したり、文章を書くことにも挑戦した。

第一志望に行けなかったことに、自分なりの意味を与えたかった。悔しさを、無駄にしたくなかった。何より、自分を許したかった。

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そうして、いくつかの検定に合格し、コンテストで賞をいただく機会にも恵まれた。高校生の頃に描いていた「理想の私」の姿とは、少し違っているかもしれない。でも、私は今、自分のことを少しだけ誇れるようになった。少なくとも、虚勢でごまかすのではなく、自分の足で立っていると思えるようになった。

背伸びは今もしている。だけどそれは、昔のように、ただがむしゃらに「届かせたい」と願う、前向きな背伸びだ。そんな風に思える今の自分を、少しだけ好きでいられる。