「ご趣味は?」

今日もいたるところで聞かれているであろうこの質問に、私はこう答える。

「ピラティスです!」

1年近くピラティスを続けてるが、無難な趣味ができたことに心底安堵している。
それまでは「無趣味なんですよね〜ハハハ。ところであなたは?」と答えては、気まずい時間を過ごした。

◎          ◎

「ご趣味は?」の真意はこうだ。
本当にあなたの好きなモノを聞かせてほしいわけではない、ただ何か会話を継続するネタをよこせ。

だいたい、「趣味は?」なんて安直な質問の仕方しかできないような人物は、話すネタに乏しいのだ。たいてい順風満帆な人生を謳歌してて、「僕は筋トレと映画ですね!焼肉も好きで、あとはサウナ巡りとか…」などという。彼らはいい意味で、対人関係の形成に苦労したことがないのだろう。

まず、この趣味趣向を否定しているわけではない。私もたまにはジムに行くし、映画も見るし、カルビを食べる。髪の傷みを気にしながらサウナに整いを求める。

この人物が提示した趣味に、どれだけ心の底から好きなものがあるのかはわからない。
こういう趣味は“おあつらえ向き”だからだ。
ピラティスに内包される、健康や美容への意識があり、定期的な運動に時間とお金をかけられるというアピールも、おあつらえ向きだろう。

では、私はピラティスが好きか。10段階でいえば、3か4程度。やれば面白い、没頭するようなものではない。週2程度で通ってはいるが、隙あらば猫背で注意される。世の中、週3回通って素晴らしい体型を維持している人もいる中で、肋骨もまともに締められない自分なんて、まだまだ好きといえる境地には達していないのだ。

ピラティスを言い訳に筋トレもさして真剣ではないし、映画は選り好み。焼肉の味なんてほぼタレの味だと思ってるし、サウナもせいぜい月1回。10段階にするなら、どれも1くらい。違う言葉でいえば、ライト層、ミーハー、にわか。

じゃあ私に心底楽しんでいると言えるものはないのか、考えてみた。ディズニーについては、まあ楽しんでいる方だと思う。年に1、2回はほぼ確実にミラコスタに泊まるし、それ以外でもパークに行く。夢の国は単価が高いのでぼちぼち課金はしてる方だ。しかし、
映画?見てないものの方が多い。

アトラクション?1、2個しか乗らない。
ショーやパレードは?何時間も座って待てない。
一眼レフカメラ?持ってない。
グリーティング?キャラに何を話していいかわからなくて気まずい。

「えっ、じゃあ何が好きなの…?」

パーク内で売られているカラフルなTシャツを着て、どデカいズームレンズをつけた一眼レフカメラを持ち、トートバッグに大量のマスコットをつけたDオタは怪訝そうに私を見る。
そして私はこう答える。

「ふんいき…?」

これが好き、そう言った瞬間に、スキャンダルでも起こしたかというくらい飛び交うたくさんの質問。
どこで?頻度は?今まで何回した?1回にかける金額は?アイテムに費やしてる費用は?何が好きなの?なんで好きなの?𓏸𓏸って知ってる?知らないの?それは××だと思われがちだけど、本当は△△なんだよ、界隈では有名な話だよ、しらないんだ、しらないんだね…。

問われる度に、答えられない度に、それが誰かよりも劣っている度に、自分の「好き」を疑った。かき集めてきた自分の「好き」は、いつのまにか消息不明。

上には、上がいる。
私より詳しい人、頻度が多い人、お金を費やす人…。
何を、どれくらいすればいい?
どれくらいお金をかければいい?
どこまで知っていればいい?
どこまでいけば、「好き」と言っても許される?
臆病な私からは、好きなものがなくなった。

「どうしたら『好き』といっていい理由になると思う?」
いろんな人に聞いて回った結果大半は、
「そんなに深く考えてない」。

◎          ◎

一つだけ腑に落ちた回答があった。

「例えば、今Aviciiが流れてたとして。そのときに、あ〜AviciiじゃなくてCharlie Puthが聞きたいなーって思ったら、Charlie Puthが好きってこと」

言ったのは、先ほどのおあつらえ向きの趣味を並べていた彼だった。

目からうろこだった。
好きの気持ちは、比較によって生まれることが許されるのかと。
「好き」は心の奥底から、どうしようもなく湧き上がる絶対的な感情であると思っていた私に、あまりにも現実的に刺さった。

もしかしたら好きを簡単に使える人たちの文脈には実は、好きじゃない𓏸𓏸と比べると、が含まれているのかも。まさか、「ピカソより〜普通に〜ラッセンが、好き!」みたいな話だったりする!?と思うと「そんなに深く考えてない」の理由が少しわかった。
消息不明の私の「好き」が、少しだけ帰ってきた気がした。

未だに焼肉食べたいですとは言えても、焼肉が好きですと言えるような自分にはなっていないが、今になって振り返ってみると思うことがある。

たぶん私は、彼のことが好きだった。