私の小さな幸せなんて作ろうと思えば沢山作れるほどに私は幸せに対する基準がゆるりとしている。

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例えばゴミ出しの日なんて幸福ポイントの穴場日だ。

まず朝7時くらいに起きる。カーテンを開け、窓を開け、外を見下ろす。早くて8時、遅くて10時の間に来るゴミ収集車は当然まだ来ておらず、各住人のゴミがぽんぽこと積まれたままだ。

へへ、余裕だぜ。私はこの時点で既にグッドボタンを押す。

そうしたらまずはトイレから始まり次に風呂場のネット、各ゴミ箱に最後はキッチンの排水溝及び掃除を終わらせ時間に余裕がある時は軽く床の掃除や掃除機のゴミまで出す。そうして時間が許す限りありとあらゆるゴミをかき集め、ぎゅっと袋の口を結んで完了だ。

こうして文字に起こして書くとなんとも平凡かもしれないが、実際はこの時点でかなりポイントが高くこういう日は気分も良いし、時間に余裕があるので朝ごはんを程よい時間で食べ終えそこから通っているボクシングジムに向うのだ。

朝からゴミ集めと共に掃除も軽く行い、ご飯をきちんと食べ、運動をし汗を流す。また一度家に帰ってメイクをして仕事に向かう。

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うーむ。誰がどう見たって意識の高すぎるハイレベルな朝の過ごし方だ。出来ることなら毎日こうであれば良いのにと思うところだが、如何せん、そうもいかないのがこれまた人間味のあるところでもある。

なにせ酷い日は早く起きてご飯食べるところまでは良いものの、ご飯を食べた眠気によって二度寝。なんならジムウェアに着替えといてまさかの寝てしまうことだってあり、仕事に遅刻等はしないがかなりの罪悪感に朝から自己嫌悪スパイラルだ。

話を戻す。ということで私の小さな幸せは作ろうと思えばとても低い基準で幸せを手に入れられる事がある。他には例えば行きつけの八百屋さんで野菜が沢山安く手に入ったとき。

ドラッグストアよりもネットショッピングの方が何十円か安いと気付いたとき、ポイントが地味に沢山貯まったとき、ボクシングジムで最後までヘトヘトにならずに気持ちの良い汗をかいたとき、カラオケで喉の調子を最高に保って歌えたとき、朝ごはんの盛り付けが綺麗にできたとき、ヨーグルトメーカーで作ったヨーグルトが綺麗にずっしりと固まってくれたときメイクが上手くいったとき、可愛い自撮りが撮れたとき…

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私の小さな幸せは、他の人には大した事ないと思われる事柄かもしれないけれど、でもそんなこと私には関係なくて、肝心なのは如何に毎日何かしらの幸せを作れるか、作ろうと思える気力があるのか、そこが問題だ。

私はPTSDや躁鬱を患っているからどうしても毎日思うように上手くいかないし、本当にしんどいときは1日ずっと泣いている。1日殆どベッドから動けない。でもそんなのばかりでは家族であるぬいぐるみも自分も養っていけないから働く。だから毎日無理せず、薬に素直に頼りながら気分を保ち、尚且つ幸せを自ら作っていく生活を送るのだ。

毎日頑張っている自分、マジで偉いし、そんな小さな事で幸せだと思えるマインドは可愛すぎるし尊敬しかない。
どうかコレからも1日の中でどんなことでも良いから幸せポイントを沢山付けられたら良いよね。