昔から私は勉強も運動も苦手だった。だが、小3の頃ある武器ができた。

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それは何にでも挑戦する積極性だ。中でも話すことや人前に立つことが大好きだった。好きだったが得意ではなかったため、場数をこなしてきた。
ほぼ同時期に、目立つことがやりたくて合唱を始めた。それに加えて苦手な音読を工夫すれば上手く読めることが分かって朗読発表を楽しんだ。吃音を持っていたが、工夫をすれば選ばれるほど質を上げられることに気付いた。

小6の頃、誰もやらないなら引き受けよう、と苦手なダンスの発表を全校生徒の前でやった。

その後中学校でも目立ちたがり屋なのは変わらなかった。ただ教室の空気にはなじめないと悟り、私は黙るようになった。

「声も顔も話し方も気持ち悪い」と言われたり、意見を言ってもだれかに否定されたりしたことがきっかけだった。

人に否定されるうち、黙るほうが楽だと思うようになった。

数カ月経つと成績表の「積極性」の項目が下がっていた。黙っていたら損だ。そう気が付いて積極性を取り戻していった。

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高校に入ると意見を言う恐怖心は復活した。しかし私はこの時も背伸びをした。人がいなかった生徒会の演説をやったのだ。この時も「下手でもやらないよりマシ」が原動力だった。

大学入学後、憧れの接客業をしようとバイトの面接に行った。だが、そこで話すことの壁に再びぶつかった。「吃音があるなら接客バイトは難しい」と弾かれた。このことを相談した相手には「話すのが向いてないならやめれば」と言われた。すると逆に何でもやってみようと意欲がわいた。

結局長期のバイト面接は11連敗に終わった。しかし人生経験が欲しくて短期バイトを5種類やってみた。他にも合唱団体のコンサートでMCをやったり、地域の手話サークルに飛び込んだりと色々やってみることができた。

背伸びをすると面白い経験がいくつもできる。背伸びは私を経験が豊富な人に変えた。
ただ背伸びは無理のしすぎにもつながるり弊害もある。私の場合、それは自己肯定感がなくなってしまったことだと思う。

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その理由は次の二つだ。一つは完璧主義になってしまったことでもう一つは自分の悩みを軽んじてしまうことだ。

完璧主義になるのはあれもこれも努力でできる、と欲張ってしまうからだ。

背伸びをしたことである程度自分の能力を上げられると実感した。その結果私は現状の自分に満足できず、自信を持つことができないでいる。そうして自己肯定感は経験によって上がるどころか分からなくなってしまった。

自分の悩みを軽んじていたのは、根本的な悩みを解決してこなかったからだ。

私はいじめや吃音等でぶつかった壁をバネに生きてきた。あまり人に相談できなかったし、相談しても解決策を調べても良い結果を得ることができなかった。そのため原動力に変えることにしていた。だが、そのせいで「自分が努力をすれば悩みが消える」と考えてしまうようになった。そして悩んでいること自体を受け入れられなくなった。

自分で軽んじるばかりでなく、自分の悩みを軽んじる人に対しても「そういうものだ」と考えていた。すると、がむしゃらに頑張ることしか考えられなくなった。そうして自分に合った環境に身を置くことが難しくなってしまい、合わない環境で身をすり減らしてしまった。

今は自己肯定感を取り戻すために、ほどほどに努力をする方法を考えている。特に力を入れているのはできたことに目を向け、書き出すことだ。言うのは簡単だが、これが意外と難しい。できたことを見つけても「そんなことくらいで」と思ってしまうのだ。

このことから以前やってみて挫折した。そこで評価基準を設けてみた。続けられることがすごい、昨日よりうまくいっているからすごいなどいくつもの基準を設け、「できた」と思えることを増やすことにしたのだ。

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背伸びすることは悪だとは思わない。背伸びは自分を変えられるし、達成感は大きい。ただし、その後で「自分はできる」と認められなければ苦しい。

その苦しみは筋肉痛のようなもので努力をしていると徐々に消える。ただし、やり過ぎは肉離れを起こし、最悪の場合肉体を滅ぼしてしまう。追い込みすぎると心を壊す元になる。

背伸びをした経験は美化されやすいが、時に大きな犠牲も伴う。これからは自分を殺していないか点検しながら、ゆっくりと背伸びするようにしたい。