贈り物は刺繍の本。いつか作り上げた刺繍をおばあちゃんに見せたい

机に紙袋が置いてある。
一瞬なんだろうと思ったけれど、眠くて確認する気にもなれず、そのまま端によけて朝食を食べた。
次の日、今度は畳まれた洗濯物の隣に紙袋が置かれていた。
残業続きで疲れていたのもあり、紙袋は見て見ぬ振りをし、自分の洗濯物だけを持って、部屋に片付けに上がる。
また次の日、紙袋は私の部屋に置かれていた。
仕方がないので中身を確認すると、刺繍の本がずっしりと、たくさん入っていた。
全部の本をぺらぺらめくってみたけれど、何がどういうことなのか分からない。
リビングにいる母に聞いた。
「おばあちゃんがあんたに渡してって言ったから預かってきたんよ、重かったわ〜」
おばあちゃんは私に刺繍の本をくれたのだ。
中学生の時、おばあちゃんから花の刺繍が入ったティッシュケースを貰った。
たくさんの色と綺麗な花柄は嬉しかったし、何より凄いと思った。
「私も刺繍やってみたい」
純粋に出来たらかっこいいなと思い、そう言ったような気がする。
けれど、それから10年も経っているし、やってみたいと言ったものの自分の針すら持っていない。
第一、おばあちゃんが刺繍の本をくれた理由がそれなのかも分からないほど、本当に一言の記憶であやふやだ。
母には「嬉しいけど、針も糸もないし、本見てもさっぱり」とだけ伝えてと言い、自室に上がった。
紙袋は部屋の隅に寄せて置く。
それからしばらくして、仕事中に母から「おばあちゃんがもっと分かりやすい本見つけたからおいでって」
とメッセージが来た。
本を見つけたあの日から、何となく刺繍の動画を見てみたり、調べてみたりと、気になっていたけれど、やっぱり全くの一から始めるには難しそうだと思っていたところだった。
仕事終わり、刺繍は出来る気がしなかったけれど、お礼も兼ねておばあちゃんの家を尋ねた。
おばあちゃんは、私の来訪を喜んで、行くと伝えた時間には玄関先で待ってくれていた。
「本難しかったって聞いたで、せやったらおばあちゃんが教えたる」
二つの紙袋を受け取り、中身を確認すると、一つには新たに刺繍の本が入っていた。
そして、もう一つは、色鮮やかな刺繍糸と枠、針などなど、刺繍に必要な道具だった。
「おばあちゃんはな、もう刺繍みたいな細かいことようせん。道具もあげるからやってみ」
おばあちゃんは目が悪くなってきて、近年刺繍はしていなかったと言う。
なんてことないように言うけれど、おばあちゃんがもう刺繍をしていないという事実は少し寂しかった。
私が「やってみるわ」と言うと、おばあちゃんはにこにこと嬉しそうにした。
家に帰り、貰った道具を広げ、刺繍の基礎的な動画を見ながら見よう見まねでやってみる。
帰りに寄った100均で買った簡単な図案から始めてみるけれど、中学生の時に家庭科の授業で針を持って以来なので、おぼつかない。
同じ動画を何度も何度も見て、ようやくサテンステッチの詳細が掴めた。
「とにかく毎日刺してたら上手いこと出来るようになるから」
それからは、仕事から帰ってきて1時間ほどを毎日刺繍の時間にあて、1ヶ月してようやく花柄の図案を1つ完成させた。
まだまだ細かいところは気になるけれど、初めて自分で完成させた刺繍を見てすごく嬉しかった。
自分で色を決めたり、じっと細かい作業に集中するのは、座禅のような、マインドフルネスのような、詳しいことは分からないけれど、気持ちが落ち着くような効果がある気がする。
最近は、仕事から帰ってくると、疲れて何も出来ずに寝ていて、仕事と睡眠の繰り返しに、ただただ毎日を消化していた。
よく眠れる時もあれば、早くに目覚めたり、なかなか寝付けないこともあった。
1日のうちのたった1時間だけれど、自分時間を見つけられたのは大きな収穫だ。
今は、作り上げた刺繍をおばあちゃんに見せに行くのを楽しみにしている。
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