ずっと正反対だと思っていた朗らかな妹。大人になり結ぶ心地よい関係

私には、4つ歳の離れた妹がいる。
この歳の差は、幼い頃は絶妙にやりづらい数字だった。
私がおままごとをしたいと思っても、まだ妹には遊びの仕組みが理解できない。
小学校に上がって、私の同級生と遊ぶことになっても、まだあらゆることがおぼつかないくせに、無理を言ってついてきた彼女の面倒を見なければならないのは、正直とても面倒だった。
どうして、両親はもう少し早くするか、いっそ思いきり離れた10歳差くらいで妹を産んでくれなかったのだろうと、常々思っていた。年が近ければ一緒に遊べただろうし、うんと離れていれば、私としてもいろいろと諦めがついたというのに。
性格も、私と彼女は正反対と言っていい。
彼女が朗らかで明るく、周りと関わりながら何かを決める性格だとしたら、私は内に篭りがちで、鷲鳥不群(しちょうふぐん)とばかり、一人黙考し、淡々と身の回りのことを進める性格。
実際は、そうしているほうが自分が楽だからそうしているだけだが、私は彼女の生まれ持った素質を内心羨んでいたし、きっと彼女のほうが世渡りが上手だろうこともよくわかっていた。
同じ親から生まれたはずなのに、どうしてこうも違うのだろう。そう思ったことは数知れない。彼女の纏うオーラを自分に被せることは、自分の根っこをひん曲げて引っこ抜いても余りあるような、逆立ちしても真似できないと思うような、そんな感じだった。
私は中学校を卒業してすぐに実家を出たので、記憶の中の彼女は未だに小学生だ。
特に、別れるときに何かを話した記憶もないけれど、いつの間にか月日が経って、私も彼女も人並みかそれ以上に人生経験を積んできたようだった。
この前、妹から、いつ振りかわからないくらい久しぶりに、連絡が来た。
聞けば、親との関係がうまくいっていないとの話。
「私は、今さら気づいたけど。お姉ちゃんは、どう思っていたのかなって」
そう言う彼女は、私の記憶の中の彼女よりもずっとしおらしく、心細そうだった。
私は、突然そんな話を私に打ち明ける相手を不思議に思いながらも、知る限りのすべてのことを伝えた。もともと、私は気立てが良いほうではなく、何よりも自由を愛する質だ。愛情深い代わりに過保護な親とうまくやれるようなタイプではない。それがわかっていたからこそ、自分に合わないと判断して早くに家を出た。
でも意外だった。私は無意識に、妹はそういう環境でも「うまくやれる」側の人だと思っていたのだ。
私が持つ色が、赤黄青の三原色だとすれば、彼女のそれは限りなく白に近いと考えていた。
何を言われてもうまくかわしながら、周りに溶け込み順応していける人種。ちゃんと「染まれる」側の人。
けれど、話を聞いて驚いた。彼女の持つ感覚は、とても私に近い、ビビッドな色をしていたのだ。
純粋にうれしかった。こんなに近くに、まったく同じ境遇に置かれた人がいる。当たり前だ。姉妹なのだから。
そう気づくまでに随分長くかかったものだと思う。だけどまったく、そんな当たり前のことに今まで気づけなかったのだ。ずっと私も、もしかしたら彼女も、自分と相手は正反対の人間だと思っていたから。
先日、久しぶりに姉妹水入らずで食事をした。
お互いに成人してしばらく経つが、妹と2人で食事をしたのはきっと初めてだった。
両親の反対を押し切って自分で決断した彼女が、きちんと考えて自分で選んで進んだのなら、私はそれを後押ししたいし、周りに反対されても、姉として最後まで味方でいてあげたい。
4つの歳の差はもうこの歳になれば気にならなくなった。どんなに変なことを思って言葉にしても姉妹同士、気兼ねすることもない。きっとお互いにそう思えているだろうことが心地よかった。
それが最近の、うれしかったこと。
別に面と向かってわざわざ言わないけど、妹よ、また一緒に美味しいものを食べに行こうね。
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