パートナーへの愛を感じるタイミングはどんな時だろう。

自分のために貯金して高価なプレゼントを贈ってくれた時、我儘を許してくれた時、辛い時肩をそっと抱きながら話を聞いてくれた時。
それぞれあると思うけれど、もしかしたらそんな綺麗なシチュエーションでなくても、愛を感じる瞬間は日常に転がっているのかもしれない。

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夫とは27歳で結婚して1年が経つ。世間ではまだ新婚と呼べると思うが、2年以上同棲している事もあり良く言えばなんでも曝け出せる、悪く言えば恋愛のドキドキ感はだいぶ薄れてきたという感じだ。

今日は日曜日なので、私が少し前から気になっていた有楽町のフリーマーケットに2人で行く事にした。有楽町という街は、今の私に緊張感を与える。というのも2ヶ月ほど前から体調を崩して休職をしており、そのオフィスがあるのが有楽町駅から丸の内側に少し歩いた場所なのだ。フリマ会場からも目と鼻の先だ。今日は平日ではないから会社の同僚に会う可能性はかなり低いし、会社を休んでるからといって日曜日にフリマに行くくらい、悪いことではないのは頭では分かっている。それでもどうしても少しの罪悪感、同僚にもし遭遇したらという緊張感を感じずにはいられなかった。

ただ会場につくと、そんな気持ちはすぐに薄れてしまった。単純だけど、晴れていてものすごくいい感じだったのだ。単純すぎて自分でも呆れるがこういう性格なので仕方がない。
フリマ会場は普段企業のカンファレンスなどが開催される建物と建物の間の道のようなところに位置していた。そこはコンクリートジャングルの真ん中とは思えないほど意外とたくさん木が植えてあり、青々とした葉をいっぱいに携えている。下から覗き込めば日に透けた緑が美しく、上から太陽が差し込んで地面に木漏れ日が揺れていた。

海外の蚤の市を意識したおしゃれなフリマだとHPに記載されていたが、売っている物はでっかいこけしとか、掛け軸とか、おしゃれというよりは普通のフリマだった。それでも、この天気と絶妙に暑くも寒くもない5月の気温がどうにも気持ちよく、フリマの満足度は高かった。

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夫は「晴れてる有楽町って最高だね」と、思い返すと少し謎なセリフをしきりに繰り返していたが、それも相まって私の気持ちは上向いた。
彼の能天気で少し語彙力が乏しいところはしばしば私をイラつかせるが、そのおかげか驚くほど心が穏やかなところは好きなところでもある。好きなところと嫌いなところは表裏一体である。

昼過ぎに有楽町で映画を観る夫と別れて、私はフリマ近くのNYブルックリン風のカフェに入った。フリマを物色していた時に夫とあのカフェ素敵だねと話していた所だった。コーヒーを注文して本を読む。次第に読んでいた本の内容が際どくなってきたので、本を閉じて家に帰った。こういう時、誰も見ていないと分かっていても少し恥ずかしくなってしまう。

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夕方に夫が帰ってきた。彼も映画の後に同じカフェに行ったらしい。映画の感想もそこそこに夫が「カフェのトイレでうんちしてたらさ」と切り出してきた。なんと!私も先刻そのトイレでうんちをしていた。奇遇だね。しかもその最中にドアを外からがちゃがちゃやられて身が縮む思いをしたところまで一緒だった。

私達はうんち中に起こった危機について熱く語り合った。
そのトイレは実際は男女兼用で一つなのに、ドアが変に大きいから更に中に個室があるのかな?と勘違いしやすいことや、何より鍵が閉まっているマークが分かりにくい位置にあるためつい開けてしまうという文句等。更にはうんちが何分目まで出たところでドアをがちゃがちゃされたのかとか、せっかく出かかっていたうんちが焦りによって引っ込まなかったか、など到底人には聞かせられないような情けない会話の数々だった。

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せっかくおしゃれで綺麗なカフェに行ったのにお互い一番印象に残っていたのがうんちだった事、時間差で全く同じトイレで全く同じ間抜けな思いをしていた事、うんちについて恥ずかしげもなく熱く語り合える事。なんだか私はふいに夫の事が愛しくなり、抱きついて「慈しみ神社の奉納祭り!」と訳の分からない事を呟いた。

同じ感覚を共有して、くだらない事で笑い合う。この人といたらどんな自分でいても大丈夫だと思える。それが私にとってのパートナーへの愛を感じる瞬間なのかもしれない。

この事はわざわざ人に話すことはないくらいにしょうもない。傍からみたら共感度はゼロに等しいと思う。それでも日常の中で、小さく小さく愛を育てていく事。もしかしたらこれが結婚生活をやっていくという事なのかもしれない。最後に、久しぶりに出たうんちにも感謝をしたい。