父の遺したマイルでオーストリアへ。美しい東欧の色、ささやかな巡礼

物心ついた頃から、あるいはその前から。
自分が好きな街に住むのが当たり前だと信じて疑わなかった。
自分が持つ国籍に永住することがマジョリティと知った日、呆然としたのを覚えている。
そう、翻訳ものの児童文学で育った私は、ヨーロッパという地に漠然とした憧れを抱いたのだ。
それがいかに難しいことか、身を持って徐々に分かっていくわけだけれど、それでも。
父の七回忌があっという間にやって来た今年、ひとりでオーストリアへ向かった。
帰国子女で、出張の多かった父の遺した飛行機のマイル。
ついに、有効期限が来てしまうから。
父が懸命に生きた証でもある、それを有り難く使って春休みに旅に出たのだ。
わずかな乗り継ぎだけのつもりが、ストライキで急遽一泊したヘルシンキ。街も人も真面目そうな印象があったけれど、手荷物検査で巨大な歯磨き粉を持ち込んで引っかかる人がやたらといた。
そして5泊した音楽の都ウィーン、日帰りで訪れた近代的で美しいリンツ。
もうひとつ、忘れられないのはスロバキアのブラチスラヴァ。
ウィーンから1時間で行けると聞き、急遽行ってみることにしたのだが、大好きな街になった。
陸路で国境を越えると、そこはもう異なる言語を持つ。
ヨーロッパで最も地味な中央駅との噂もある、ブラチスラヴァ駅から20分ほど歩いて橋を渡れば旧市街が広がっている。
UberEats的な配達を一輪車でする人(別に達者に乗っていたわけではなく結構危なかった)、突如として現れるスケボーと放し飼いの犬。
観光地然とされていない場所があるのも、なんとなく馴染めているようで嬉しかった。
人々はとても温かくて、エスプレッソとブルーベリーケーキを求めたカフェでも、はちみつ屋さんでも親切だった。
高いところに位置するお城は、まさに私が思い描く東欧の色をしている。
父と過ごした15年間、その優しさには感謝している。生活の約半分を海外で過ごしていたわけだから思い出が少ないのは仕方ないとも思う。コロナ禍を知らずに逝ってくれたのは肺がんを患う人としては幸せだったかもしれないね。
それでも、やっぱり本音で語り合いたかった。
今、あの時よりずっと人生を楽しんでいる私を見てほしかった、お酒ぐらい一緒に飲みたかった。
海外に行ったら、今こそ父がいてほしかったって考えてしまいそうで怖かったけれど、逆だと分かった。
出張先での父もこうだったのかな、と想うだけで、彼の内面をあまり知らない自分が少し救われる。
たぶんそれは、私が納得するためのエゴでしかないけれど。
巡礼、と呼ぶのは烏滸がましいが、それぐらいの意味がある時空だった。
父はよく、ココナッツの実で作られたポシェットだとか、不思議なお土産を買って来てくれたけれど、いざ自分が選ぶ側になれば物珍しいものを買ってしまうその気持ちも分かる。
どこで生きていけるか、私は全然見えていないけれど、好きな人とモノに囲まれて、呼吸しやすい自分でいられるようになりたい。
いつか、宙の上で再会した時に、世界中の積もる話を沢山出来ますように。
その時はお酒で乾杯しようね。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。