大好きだった本屋のオムライス。食事という思い出に心を満たす

私は食べ物に執着がない。
というか、美味しいものであればそれでいいと思っているタイプ。
そんな自分に気づいたきっかけは、趣味の写真だった。
普段見ている景色や自然を撮ることは好きだったのだが、誰かとご飯を食べるときに撮る料理の写真は得意じゃないなと思っていた。
ある日、大学の同期に料理の写真を見せたところ「下手すぎない??」と言われた。
そうか、自分は料理の写真が下手なのか!とここで初めて知る。
なぜ上手く撮れないのだろう?と思ったとき、料理の写真については「記録」としか思っていない自分に気づいた。
美味しいものを食べた記録。忘れないための記録。
私にとっての食事、ひいては料理というものはそういう立ち位置だった。
だからなのか、食に関するエッセイのテーマだと普段の3倍以上の時間をかけて内容を考えてしまう。
というか、テーマに合った自分のエピソードが上手く出てこないのだ。
これは、食に興味がなさすぎる弊害だ……と頭を抱えつつ、小さな頃に好きだったご飯はなんだろう?と記憶を頼りに思い出してみた。
私は小さい頃から、ある本屋さんが好きだった。
そこには本だけでなく、文房具や雑貨、CD・DVDなどの色んなモノが売っていた。
そして、何より食事ができるお店も入っていたのだ。
店舗によってはチェーン店が入っているところもあったが、私が高校生まで通っていた店舗ではちょっとしたレストランが併設されていた。
近くの外食より少し値段が張るものの、良心的な価格帯なので家族3人でよく行っていたお店だった。
休日、時間があれば車でその本屋へ行く。
家族3人、好きなジャンルの本は違うので、それぞれ1人で店内をうろつく。
父は雑誌コーナー、母は文房具や雑貨、私は全体的に徘徊しつつ児童書コーナーへ。
気になる本を立ち読みしながら、今日買う本を決めていく。あの時間はとっても贅沢だったなと今なら思う。
そして、買い物の後はレストランで夕食を済ますことがいつもの流れだった。
洋食系のお店だったので色んな料理があるが、私はもっぱらオムライスを頼んでいた。
ふわふわの卵を横一直線に割るとトロトロの中身が現れ、デミグラスソースと卵にチキンライスを全部合わせると口の中で踊り出す。
私はこのオムライスが大好きだった。
でも、何よりあのお店の雰囲気が好きだった。
家族3人、少しキレイな場所でテーブルマナーに気をつけつつ食べるあのご飯が。
見た本や、買った本の話をしながら過ごすあの時間が。
ご飯の思い出は色々あるはずだが、私は真っ先にこのオムライスの記憶が浮かんだ。
もしかしたら、私は食べ物自体に興味がないだけで、そこに付随する思い出を大事にしているのかもしれない。
今度、実家に帰ったときは思い出の本屋に家族3人で行こうかな。
お店全体を徘徊しながら、お目当ての本を買いまくるのも良いかもしれない。
そしてまた、あの時のオムライスを食べたい。
家族3人でいられるうちに、思い出を何度でも重ねていきたい。
大人になると少しずつそんな気持ちになっていく。
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