テレビに興味がない子供だった。私にとっての娯楽はもっぱら小説で、テレビやYouTubeに興味は全くなかった。たまに母が見ているドラマを一緒に見るだけ。それでさえ飽きっぽい私は最終話まで見ることが少なかった。きっと自分の好きなタイミングで見ることができないのが嫌だったのだろうと思っていたけれど、だからといって配信されているドラマも見ない私は文字が好きだったのだと思う。映像で決められたイメージを押し付けられるということが何となく苦手だった。

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だから好きな芸能人もいなかった。画面の中でしか見ない彼らの顔を覚えることができなかったし、特に誰がいいとも思わなかった。それをおかしいと思っていなかったけれど、中学生になると「好きな芸能人は?」と聞かれることが増えた。「いない」と言うと、「じゃあ好きなYouTuberは?」と聞かれる。「それもいない」と言うと、宇宙人でも見るような目を向けられた。

恋バナがない女子校では、日々の話題はほとんど芸能人のことだった。好きな芸能人がその子にとってのアイデンティティだったのだ。小学生のときは「本が好きな子」がアイデンティティになっていたのに、中学生にしてアイデンティティを失ってしまった私は、ついていけない話題に日々溺れそうになっていた。

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それを救ってくれたのが彼だった。

きっかけは母と見ていたドラマだった。そのドラマの途中の話から彼が登場した。特に面食いというわけでもなかったのに、なぜか彼に惹かれた。整った顔立ちと憂いのある表情が私のツボだったのだ。彼を見たくて、ドラマを全話見た。さらには有料コンテンツでのみ配信されている裏話まで見た。こんなことは初めてだった。「見たい」という気持ちが「好き」だという気持ちだと気づいたのはもう少しあとだった。

初めは顔が好きなだけだった。だけどドラマを見て、それから彼のSNSを見たり、経歴を調べたり、過去のドラマを見たりしているうちに、彼の性格まで好きになっていた。謙虚で笑顔が可愛くて、仕事には常に本気なその姿勢が大好きだった。

憧れが募った結果、ファンレターまで書いた。「書く」ということは好きだったから、どれだけでも筆が進んだ。書き上げた手紙を見て、「あ、これがファンになるということか」と腑に落ちた。たぶん初めて芸能人にはまった私は、恋のような“好き”の気持ちで彼を好きになっていたのだ。そんな言葉は知らなかったけれど、ほとんど「リアコ」のようなものだったと思う。

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それからは「好きな芸能人は?」や「好きなドラマは?」といった質問が苦じゃなくなった。ちょうどブレイクしていた彼のことはみんなが知っていたし、異常に彼に詳しい私は「あの俳優さんが好きな子」というレッテルを貼られた。もう私は宇宙人ではなかった。私は彼を通してアイデンティティを手に入れたのだ。

今考えればしょうもない話。だけど当時の私にとって、彼は私を救ってくれた神様だった。
今ももちろん彼のことは好きだ。今でも活躍している彼は年を重ねるたびにかっこよくなっている。だけどもうあの頃のような気持ちで好きでいることはきっとできない。私の世界は少し広がって彼以外にも好きな芸能人は出来たし、周りの友達だって、好きな芸能人だけでその子がどんな子か判断するほど子どもではなくなった。だけど、一番に好きになった彼はやっぱり私にとって特別だ。

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憧れで大好きだった私の神様。私を救ってくれてありがとう。文字の世界に閉じこもっていた私に画面の中の世界を教えてくれてありがとう。
どうかこれからも画面の中で輝き続けてください。