人間だもの、ニキビくらいできる。でもアンチエイジングはしてやらない

あら?
人に分からないほどの、私だけがわかるこの違和感。
確かに、なんとなく、薄々?勘づいていた。
でも変わらないよな、なんて思いながら過ごした日々。
ふと振り返ってみる。
うーん、そういえばそうだったっけな。
私は変わってないが私自身は変わっていた。
少しだけ気にしながら、でも前のように過度なことはやめて。
人と比べなくていい、自分が良ければそれでいい。
食べる幸せと見た目の幸せのバランスは私次第。
食に興味があるかと言われたらおそらくNO。
お腹が空いていないなら朝昼食べなくても問題はない。
美味しいものを食べたいと思うことはある一方で、食という観点から健康に気を遣った経験など思い出そうとしても思い出せない。
ただ体型の変化には敏感だった。
過度なダイエットは大学生の頃に倒れて以降やめた。
今は世に言う8時間ダイエット、という時間を気にするくらい。
これが意外と私の性に合っているようでゆるゆると数年続けている。
もちろん出来ない日もある。
昔の私だったら出来なかった日を境に全てを投げ捨てて暴飲暴食に走っていただろう。
根本の性格は今でも変わらないが、1日くらい、と自分を責めることをやめてからは気が楽になった。
とはいえ、メンタルはあの頃と同じでも体は少しずつ変わっていく。
同じような食生活をしていても、少しずつ体型は変わってきた。
さて、多少の暴飲暴食はあったにしろ概ね変化のないこの食生活をどうしようか。
食というものに制限をかけることは相当のストレスになることを私は知っている。
ましてや多少の緩和はあれど0か100かの私の性格だ。
一回始めたらまた倒れるまでやるのがオチなのだ。
うだうだ何かにつけて理由を垂れる。
変化はあれど極端にいえば緊急で困っていないということの表れ。
人間本当にやばいと思った時は有無を言わさず変わる。
ということで、まだその時ではないのだ。
先を見越して対策を立てることも大切なのだろうが、早急に対応しないあたり、食に興味がないと言える根拠なのかもしれない。
とはいえ、何分このご時世SNSを媒介として嘘か本当かは分からないが人の生活を簡単に垣間見ることができる。
長い名前のスムージーを飲みながら半身浴、と思えば大量のサラダだけで生きる同世代をいやというほど目にするうちに嫌でも自分なんて、と思うことが増えた。
まあいっかと思う自分と、光る板越しに少しだけ光って見える彼女たちに少しだけ自尊心が傷つく。
自分の体は自分だけのもので、自分が良ければそれでいいのに。
知らない誰かと張り合って今日も私は自分なんてと言いながら眠る。
自分の体に自信なんてない。
いつの間にか、けれど少しずつ増えてきた肌の不調。
前ほど痩せなくなった太もも。
思い通りにならないと思うことが増えた私の体。
自分がそれを受け入れられるならそれでいい。
どちらかというと世間がそれを許さない、という状況の方が多い。
睡蓮ちゃんニキビある。
たったそれだけの一言、小さな変化に対する世間の刃で傷ついた自尊心の修復のためにアンチエイジングという言葉が生まれたような気がしてならない。
人間だもの。チキン南蛮にご飯大盛り食べたら次の日にニキビくらいできる。
でも昨日の私が満たされたのであればそれでいいのだ。
アンチエイジングなんてしてやらない。
その時に食べたいものを食べて、少しだけ落ち込みながら少しだけ頑張ってまた食べたいものを食べよう。
サラダが食べたい日もあるだろうから、その時は素直にサラダも食べよう。
アンチエイジングをする彼女たちを否定はしない。
けれど私は年齢を重ねて得る変化を楽しんでいきたい。
SNSをオフして真っ暗な板に映る自分が笑っていたらそれだけで十分だ。
自分がいいと思える自分が最高なのだ。
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