わたしが好きな人はもうあの頃の彼ではない。でもあの煌めきこそが道標

「好き」が長続きする方だと思う。今好きなアイドルは好きになって7年目だし、好きなバンドで一番長いところはファンクラブ歴がゆうに10年を超える。
22年の人生の中でそれらが占める割合はとても大きく、人生の転機にも度々なってきた。明らかに特別な瞬間でなくても、ライブは毎回新鮮にワクワクするし、新曲が出たらやっぱり嬉しい。映画や舞台に出演するなら、どんなに忙しくても予定をこじ開けて観に行く。紡がれる言葉や、作品そのものや向き合い方に込められた哲学に心を動かされる。わたしの「好き」は、熱を保ったまま静かに続いていくものらしい。
昔は、長く好きでいればいるほど「好き」の解像度が上がると思っていた。けれど、実際には違った。長く好きでいればいるほど、「好き」の形はむしろ曖昧になっていく。わたし自身も、「好き」の対象も、時間の中で少しずつ変化していく。その噛み合い方の奇跡は、その瞬間が来るまで誰にもわからない。だからこそ、年月を重ねるごとにむしろ「わからなさ」が増していく。
わたしが好きなアイドルは、出会った当時23歳で、ありていに言えばとても大人びて見えた。7つも年上だから当たり前といえば当たり前なのだろうけれど。サブカル的な好きをオープンにしていて、ちょっとつんとしていて、なんとなくミステリアスで。でも、ひとたびお芝居になると、青い炎のような熱を孕んで。がむしゃらで、ギラギラしていて、どこか脆そうで、その脆さすらどうしようもなく魅力的だった。
今のわたしから見ると、あの頃の彼は、むしろとても等身大だったのかもしれない。好きになった当初は、ある種の自己投影として彼を見ていた部分もあり、共通項を見つけるたびに飛び上がるほど嬉しかった。今の彼は、わたしにとってとても眩しい存在だ。穏やかになった、と言ってしまえば簡単だけれど、それだけじゃない。よく笑い、いろんな媒体でのびのびと話し、自分の成し遂げたことを誇らしげに語るようになった。昔語っていた夢をひとつずつ現実にして、「好き」と言っていた人たちと肩を並べ、クリエイティブの場に立っている。そうした姿を間近で見られてきたことは、わたしの人生に確かな影響を与えた。
彼が歳を重ねて性格が変わっていったように、わたし自身も変化してきた。出会った頃のわたしは、根拠のない自信だけを武器に、無鉄砲に走っていた。誰かに自分を重ねるだけの傲慢さがありながら、度胸はなくて、人見知りで、人前に立つのが嫌いだった。彼が夢を叶えていく姿を見て、どうにかしなきゃと焦るようになった。人前に立つ機会に自分から手を伸ばし、憧れの人にも自分で声をかけるようになった。そうしてわたし自身も少しずつ変わってきた。今もなお度胸があるとは思えないけれど、周囲からは「堂々としているね」と言われるようになった。彼がいたからこそ、今のわたしがいる。
わたしが好きな人は、もうあの頃の彼ではない。けれど、変化し続ける彼がくれる煌めきを道標にわたしは歩いてきたし、これからも歩いていく。その人生を愛おしく思う。
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