断捨離でこんなに心が満たされるなんて。過去への感謝と愛されてた証

最近、部屋の大掃除を始めた。いわゆる「断捨離」だ。きっかけは、幼少期から使っていた棚を手放すと決めたこと。そのためには、棚の中に入っている大量の物たちを、まず片付けなくては。
いつも何かと「いそがしい」を口癖にほったらかしにしていた自分の部屋に、時間をかけて向き合う覚悟を決めた。
棚に入っていた物を少しずつ取り出してみると、想定よりもはるかに雑多にしまわれていて愕然とした。解約した銀行の通帳、使い古しのクリアファイル、おしゃれな空き箱多数……。ほとんどが、保管していたことも忘れていたような物たち。
そんな中でも、手放すことを躊躇するものがあった。それは箱にしまわれていた、昔両親にもらった古い音楽プレイヤーや、かつて大好きだったタレントのグッズたちだった。
どれもこれも、思い入れのある物ばかり。棚の片付けを思い立ったりしなければ、きっとしまっていたことすら、忘れていただろう。それなのに、手に入れたときの高揚感も、使っていたときの思い出も、改めて手に取ると鮮明によみがえってくる。
ガラケーしか持っていなかった当時、この音楽プレイヤーでお気に入りの曲を聴き込んだし、落ち込んだときでも元気になれるように、大好きだったタレントのグッズは常に持ち歩いていた。
これを手放したら、なんだかあの頃の思い出を否定するような、忘れ去ってしまうような気持ちになって、とても悩んだ。さっきまで「思い出の品」だったものが、わたしの選択ひとつで、「不要品」に変わってしまう。
でも、それぞれの思い出に向き合う中でふと、これらはあの頃のわたしを励ましたり、幸せにしてくれたことで、一度役目を終えているのではないか、と感じた。
ところどころの傷や色褪せも、使い込んでいたからこそ。普段目につかない箱の中にしまったままだったのも、置き場がなくなって詰め込んでいたわけではなくて、当時のわたしなりに大事な場所として、保管していたんだと思う。そして、いつのまにかその物に頼らなくても生きていけるようになった、という証なのではないか。
それだけ、わたしも大人になって、いろんなことを乗り越えてきたのだ。そう思えることが喜びでもあり、自信にもなった。
それからは一つひとつの物との思い出に思いを馳せ、手放すごとに「ありがとう」と何度もつぶやきながら、片付けを進めた。
棚のさらに奥の方からは、昔のノートや手紙類がたくさん出てきた。予定がパンパンの学生時代の手帳、びっしりと過去問を解いたルーズリーフ、中には、大学受験当日に、母がお弁当箱につけておいてくれた、小さな応援メッセージまで残っていた。
それらに一つずつ触れるたび、わたしは本当にたくさんの愛情に包まれて生きてきたんだと、胸があたたかくなった。元々片付けが苦手なわたしが、断捨離で、こんなにも心が満たされるなんて思わなかった。
手紙はどうしても手放せなくて、一つひとつ読み返しながら、お気に入りのノートに丁寧に貼った。溢れんばかりに入っていた手紙が、罫線紙の上で、カラフルに整列した。忘れていた大切な思い出を噛み締めながら、今の自分が変わらず、そのときの気持ちを追体験できていることが、何よりもうれしかった。そして、過去に感謝しながら、今とこれからの自分を大切にする決意ができた。
さて、片付けを進める中でなんと、昔もらったお年玉や商品券が出てきた。合わせると、デパートで化粧品が買える程の金額になった。思いがけない幸運に、まるで、あの頃の自分が「よくここまで頑張ったね」と、ご褒美をくれたような気持ちになった。
だけど、また手放すことになってしまうかもしれないから、物は買わない。そのかわり、わたしのこれまでを支えてくれた家族に感謝の気持ちを込めて、一緒においしいご飯でも食べに行こうと思う。きっと家族も喜んでくれるはず。
こうして自分のことだけではなく、誰かに喜んでもらうことに幸せを感じられるようになったのも、わたしが大人になった証だ。
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