疲れた、と思うより先に欲する味がある。

辛いたべものが好きな両親の間に生まれた1人っ子なので、幼少期から辛いたべものが並ぶ食卓で育った。小学校低学年にして嬉々としてキムチを食べていたし、小学生の間に家のカレーは辛口になった。中高の学食の麻婆豆腐は辛いと評判だったけれど甘く感じたし、好きなアイドルの影響で七味をごはんにかけるようになった。

そんなわたしが疲れたときに欲する味は、やっぱり辛味なのだ。

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そのラーメンチェーンは首都圏を中心に何店舗かあり、わたしの行きつけの店舗はとあるターミナル駅の地下にある。駅直結なので雨に濡れずに行けるのが良い。

ぼーっと並んでいる隙間で暗黙の了解のように順に列を抜けて食券を買い(カード決済に対応していてありがたい)、順番が来たら店員さんに注文を確認されて中に通される。

入り口の近くにある紙エプロンをさっと取って後に続く。カウンターもテーブル席もあるけれど、大概は1人で行くからカウンターに座る。

ポイントをアプリにつけてもらい、ウーロン茶を頼み、すぐに提供されるそれを飲みながらのんびり待つ。

食事の前にはあまりSNSを見ないと決めているけれど、ここにいるときは見て良いことにしているので、結構あっという間に時間が経つ。

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頼んでいたラーメンが届く。白いどんぶりに真っ赤なスープが注がれていて、白い固茹で卵が半分に切られて目玉のようにこちらを見ている。大量にのったネギともやし、スープの中に肉と豆腐が見える。

いそいそと紙エプロンをつけて、手を合わせて。お行儀はこの際無視して丼の下の方に箸を入れてくるりとひっくり返すと、黄色っぽい麺が見えて、もうもうと湯気が上がる。間違ってメガネをかけて行ってしまったときはこのタイミングで外す。

一口啜るともうあとは無心で、気がついたら完食している。辛さは段階があって割と上の方のものを頼んでいるけれど、うまみの強さが勝ってあまり感じない。

だからこそ、途中で辛い、と思って意識が引き戻されたとき、どうしようもなく生きている心地がする。唇が唐辛子でジンジンと痛いのすら嬉しい。

もし辛いラーメンを食べに行っても怯んでしまうひとがいるなら、騙されたと思って1段階あげるところから試してほしい。本当に目が覚めるような感覚で疲れがとんでいく。

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最近気がついたことだけれど、疲れているときに欲する味だからか、なんだか夢見心地でぼーっとしながら行くことが多い。夢見心地から引き戻してくるような辛みを欲して向かっているのだろうと思う。

夢見心地のまま入店して、帰る頃には現実を見据える気になっている。帰ってからもちょっとがんばっちゃおうかな!ってところまで回復できることもある。

疲れたとすら思えないくらい疲れた人間を現実を見る気にさせるのって、ものすごいパワーがいると思う。仮に周りにそういうひとがいたとして、わたしは上手く振る舞える気がしない。ひとりでに魔法にでもかかってほしいと思う。

そうやって考えると、辛いラーメンってわたしの魔法の食べ物なのだ。誰にも知られずに元気をもらえる食べ物は、ひとに迷惑をかけるのではないかという自意識との闘いが不要で、こころにも良い。からだもこころも元気になるために、疲れたわたしは地下道を歩く。