「爪が汚くなるからだめよ!」

5歳になった春、私は慌てた祖母に止められた。祖母はふきの煮物を作っていた。

すぅーすぅーと気持ちの良い音を立てて、次々とふきの皮を剥いていく。中から現れる透き通った緑に見惚れていると、今度はぽきぽきと、5cmほどに容赦なく折っていく。

その様子は、とてもリズミカルで魅力的だった。灰汁で爪が黒くなってしまうのは分かっていたが、それより、自分もやりたいという気持ちの方が優っていたのだった。

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その煮物はいつも、食卓の端に並んでいた。すっかり茶色くなってしまったその姿はもう、私を惹きつけない。齧ってみると、じゃくり、と歯切れ悪い音を立てて、中からなんとも言い難い渋みが出てくる。

やはりふきは、おいしくなかった。しかし、食べるのと料理をするのとは別だ。ふきに触らせてもらえずとも、祖母がふきを剥くのを側で眺めるようになった。

すぅーっとふきを剥きながら、祖母が言う。
「ガキ大将がそのまま大人になったみたいな人なんよ。だからおじいちゃんに近い方から自分が好きなおかずを並べてる。それで、ふきがないと寂しいっていつも最後の1本は食べずにおいて、冷蔵庫の奥にしまい込んどる。またすぐ作ってあげるのにね。でも、そろそろふきも終わりかもね。またおじいちゃんがうるさくなるね。ふきはないんかって」
祖母はいつも愚痴っぽく言っていたが、その顔がほころんでいたのを私は知っていた。そんな祖母の話を聞く時間が、私は好きだった。

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それからいつもと変わらない春が何度も過ぎ、私は高校生になった。ふきの季節も終わりに近くなった日の晩御飯中、何度も祖父が言った。

「今年は、ふきはいつまでかのう」
「もう、そんな何回も言わんでもまた来年作ってあげるけえ」
「来年こそは私もお手伝いするから楽しみにしててね」

祖母と私はしょうがないねと笑った。

しかし、祖父はその年の冬に亡くなってしまった。

それでも約束通り、春になって私はふきを剥いた。煮物を仏壇に備えた手の先は少し黒くなったが、1ヶ月もしないうちに元通りになった。

私だけではなかった。祖母の爪が綺麗な初めての春だった。そして食卓にふきがない初めての春だった。

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祖母は悲しそうに爪を見ながら、以前の祖父のように何度も言った。

「おじいちゃんが生きていたら、うんざりするほどふきを剥かんといけんかったんじゃけどね」

その言葉を聞いてはっとした。祖母は、すぐ伸びるはずの爪がずっと黒いままなほど、幾春も祖父のためにふきを剥き続けたのだと。祖母の爪の黒さは2人の過ごした年月だったのだと。

私にとってふきは「おいしい」ものではなかった。でも、不自然に空いた食卓の端を見るといつも思う。ふきをいつも自分のそばに置いておいしそうに食べていた祖父と、なんだかんだ言って嬉しそうにそれを剥き続けていた祖母、そして、灰汁が染み付いてしまったその爪は、私にとって確かな、幸せの記憶だったと。