もう会えないから伝えたい。あなたは紛れもないおじいちゃんでした

私が物心ついた頃から、戸籍上の「おじいちゃん」と呼べる人はいなかった。その代わりに、私たちきょうだいにとって、祖父のような存在だったのがFさんである。Fさんは祖母の親しい友人であり、祖母の家に遊びに行くたびに、まるで当たり前のようにそこにいて、まるで家族のように私たちを迎えてくれた。
Fさんとは、よく一緒に旅行にも行った。入浴時間のびっくりするくらい短いことにびっくりしたり、細身なのにお腹だけがぽこっと出ていたり、版ゲームをしている最中でも寝てしまったりと、おもしろおかしい記憶ていっぱいで、今でも私の心に鮮やかに残っています。Fさんはきっと、私たちを本当の孫のように大切に思ってくれていたのだと思う。実際、私たちもFさんのことを「おじいちゃん」とは呼ばなかったけれど、心の中ではおじいちゃんのように感じていた。
そんなFさんが肺がんであることが分かったのは、突然のことだった。気づいた時にはすでに進行していて、他の臓器にも転移していたそうだ。病気が発覚してからは、私たちはFさんに会うことができなくなった。病状がどれほど深刻なのかもよく分からないまま、気づけば半年ほどで、Fさんは亡くなってしまった。けれど、そのお葬式にも、私たちは出席することができなかった。
当時の私はまだ幼く、状況をきちんと理解することもできていなかった。でも、今になって思うと、Fさんのご家族が、Fさんと祖母の関係をあまり好ましく思っていなかったのかもしれない。
Fさんの奥さんはFさんが亡くなる約20年前に他界していて、それ以前から祖母とFさんの家族は、家族ぐるみでの付き合いがあったと聞いている。祖母は「Fさんはあくまで友達だった」と言っているけれども、それ以上の深い絆のようなものがあったのかもしれない。
Fさんは、ずっとタバコを吸っていた。学校では「タバコは身体に悪いからやめましょう」とよく教えられていたので、私たちもFさんに「タバコはやめんさいよ」と何度も言っていた記憶がある。でも、まさか本当に肺がんになってしまうなんて、あの頃は思ってもいなかった。Fさんが病気になってから、私たちは一度も会うことができず、お別れの言葉すら伝えられないまま、あの世に行ってしまった。
お葬式に行けなかったという現実もあってか、私は今でもFさんが本当に亡くなったという実感が湧かない。もしかしたら、まだどこかで生きていて、祖母の家にふらりと現れるんじゃないかとさえ思うことがある。
でも、きっともう会えない。だからこそ、今、Fさんに伝えたい。
Fさん、いつも私たちを優しく見守ってくれて、本当にありがとうございました。一緒に過ごした時間は、私の中でかけがえのない思い出です。どんなに月日が経っても、Fさんのあたたかい笑顔と、私たちを包み込んでくれたやさしさは忘れません。私たちにとってFさんは、まぎれもない「おじいちゃん」でした。どうか、あの世でも穏やかに、やさしい時間を過ごしていますように。
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