あなたの好きな給食の献立はなんですか?
いつどこで誰に聞いても、必ず盛り上がる給食の話。定番の揚げパンからマイナーなレバーの甘辛煮など、好きな献立は人それぞれ。小学校6年間だけの人もいれば、中学高校も給食だった人もいるだろう。

私は今、中学校で養護教諭として働いている。小学校で一旦お別れした給食と、十数年の時を経てまた給食を食べている。

小学生の頃と、大人になった今と、食べている給食は同じだが感じることは違う。給食を通した、私の食べること、生きることのはなし。

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私は幼い頃から食わず嫌いが激しく、食べるものはいつも決まって同じものだった。給食の知らないおかずはまず食べない。苦手なマヨネーズが入っている和え物も食べない。シチューも白くてなんかいやだし食べない。それが日常だった。

恥ずかしい話だが、給食を完食したことは小学校6年間で1、2回だったと思う。

そんな私が初めてシチューを完食した日、自分でも頑張って食べたことが嬉しくて、教卓にいる担任に「食べました!」とわざわざ空のお皿を持って報告しに行ったことがある。

絶対褒めてくれるだろうな!とウキウキした気持ちで伝えたが、担任からは「そう」と、心底どうでもいいというような反応をされ、ショックを受けたのを今でもハッキリ覚えている。
もし今の私があの時の担任なら、「すごいじゃん!苦手なのに頑張ったね。調理員さんもきっと嬉しいと思うよ。頑張って食べたあなたを見られて、先生は嬉しいよ」なんて褒めると思う。あの時の私はそう褒められたかった。

また、普段からあまり食べない身からすると、好物が出た時の給食は辛い。なぜなら、”普段残しているのにこの日だけお代わりするなんて”とクラスメイトと先生に思われると思うからである。小学生なりに周りがどう思うか考え、それなりに身を引いた。毎日沢山食べている人は堂々とお代わり出来ていいな。デザートジャンケンに参加出来ていいな。なんて思っていた小学校時代だった。

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そんな私が再び学校で給食を食べているわけだが、今では食わず嫌いは卒業し、毎日完食している。毎日温かいご飯が食べられることに感謝している。
昨年度まで働いてた小学校では、あの頃の私と同じように、給食が好きではない子どもが多く居た。給食の時間に教室を覗くと、配膳された時からほぼ変わっていない状態の子どももいた。

保健室で子どもと一緒に食べることもあった。そんな時は、少しでも食べたことをたくさん認め、褒めた。食べ方から片付けまで、出来たことを認め、褒めた。1対1の時間が中々取れない教室では言われないくらい褒めた記憶がある。

それくらい、子どもにとって、給食が楽しい時間になるように努めた。一緒に配膳室まで食器を返しに行き、「ごちそうさまでした!」と笑顔で保健室に戻るようにした。

あの頃の私を今の子どもたちに重ね、あの頃の私が先生にしてほしかったことをしていたかもしれない。

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給食を無理やり食べさせると子どもが学校に来なくなってしまうことだってある今の時代、先生たちは残食を減らすことに苦労している。
以前ベテラン教員と話をした際、「子どもの頃から残す選択肢が無かった身からすると、今の子どもたちがどうして食べないのかがわからない」と話をされたことがある。シチューを完食した私に「そう」と答えたあの時の担任は、この先生と同じ考えだったのかな、とその時思った。

私は、「私もどうして食べなかったのかわからないですが、あの頃はとにかく嫌だったんですよね」と答えたことがある。
その時に返された言葉を私は今でも覚えている。
「先生は、給食が苦手な子どもの気持ちがわかる先生だよね」
確かに!
給食を完食出来ずにいたあの頃の私が、今の私に役立っているのである。やっぱり私は、あの頃の私を今の子どもたちに重ねていた。給食が苦手な子の気持ちに寄り添い、少しでも給食の時間が楽しくなるように過ごしてきた。私の給食の時間を見てきた訳ではないベテラン教員に、そう感じてもらえたことが嬉しかった。

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今まで弱点だと思っていたことも、時が経つとそれが強みになることがある。給食が苦手な子の気持ちが分かる先生、素敵じゃないか。

今は中学校。食べ盛りで、食缶が空になることも多い。その中でもし、給食に対して苦手意識がある生徒がいたら、その生徒は尚更残すことに抵抗があったり、周りの視線が気になるかもしれない。今はまだ出来ていないが、これから、そんな生徒がいたら変わらず寄り添って過ごしたい。
あの頃の私と一緒に。