小学五年生の頃に大阪から和歌山県に引っ越しをした私にとって、大阪の小学校のグラウンドは今となっては思い出深い場所である。まだ冷房が設置されていなかった教室で夏休み前の授業を受けていたときは、黒板を写しながらノートに大粒の汗がぽたぽたとしみこんでいったことがとても懐かしく感じられる。

特に小学二年生の頃、休み時間になると友達とグラウンドを走り回ることや、給食を食べ終えて昼休みに女子で集まって、クラスで運動ができて誰にでも優しい男の子が好きだとか話すようになり、人生で初めて恋の話をした場所があの教室だった。

男の子よりも女の子のほうが大人っぽいというのは確かで、恋心を抱くのも女の子のほうが早かったのかもしれない。とにかく恋の話はもちろん、五年間通った大阪の小学校には濃密で一生忘れられない思い出が残されているのだ。

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当時給食が苦手だった私は、いつも食べるのが遅くて完食できるまで残っていた。

それを見かねた先生やクラスの友達が、「大丈夫?食べられない?」と心配して優しく声をかけてくれた。

大阪ならではのおせっかいだったのかもしれないけれど、小学二年生の、給食が嫌で仕方なくて心が折れそうな私にとって、救われるような心温まる出来事だった。

初めは、先生とクラスで一番しっかりもののお姉さんのような気さくな友達が寄り添っていてくれて、それを見たクラスの女の子たちが駆けつけて四、五人が集まっていた。
「一口ずつ、ゆっくり食べてみて。ほら、水筒のお茶飲みながらでいいよ」

まるでお母さんのように面倒を見てくれていた子には、その優しさに感謝するしかなかった。せっかくの昼休みに遊ばずに、給食に悪戦苦闘している私に寄り添ってくれる。人の優しさがこんなにも心を落ち着かせ、一人じゃないと思わせてくれるのだなあと初めて知った瞬間でもあった。

その日、私は初めて残さず給食を食べることができた。二十歳になった今は食べることが好きになったけれど、あの頃の自分からすると給食の時間は地獄みたいなもので何も食べない方が楽ちんだと思っていた。

大阪で過ごした小学生時代を思い出すとき、そんな絶望していたときに助けてくれた心優しい先生としっかり者のお友達に「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えたくなるのだ。

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そして五年生になると担任の先生が厳しく、社会の授業では黒板に先生が書く内容の量が多くノートに黒板を写すことに時間がかかる子が多く、ちゃんと書けているかノートを提出して見てもらうという先生の指示を守らなければいけなかった。

しかし、まだ小学生の子たちにとってそれはハードなことであったといえる。いつもノートを書くのが遅く、時間内に間に合っていない子がいて先生に叱られているところを見て、「何かしてあげられることはないかなあ」と、ノート提出が間に合うように私が力になれることがないか必死に考えていた。

そんなとき、六時間目が終わって下校する前に行われた「終わりの会」が始まる前、隣の席の男の子が話しかけてきた。
「あの子にノート、まだ写してないか聞いてきてくれる?」
「いいよ。聞いてくる
「優ちゃん、まだノート写せてない?」「うん」
「写せてないって」「じゃあ、これ俺のノート見て書いてって言っといて」
その男の子も、いつもノートを書くのが遅い優ちゃんのことが気になっていたらしい。自分でノートを渡すのが恥ずかしかったみたいだけど、そんな優しさに私が感動しそうになった。

それから和歌山の小学校に転校して大阪とは違う教育環境に慣れていったけれど、ここまで周りの子を気にかけることができる優しさに満ちあふれた子に出逢うことはなかった。そう振り返ると、やっぱり大阪の小学校の教室は子供だった私にとって居心地のいい場所だったことを思い知らされるのだ。