恋が必要なかったあの頃、自然に惹かれた関係性は確かに恋だった

誰にだって一つくらい、大人になってからも忘れられない恋があるだろう。幼稚園の友達や近所のお兄さん、たまに会う両親の知り合いの子供。
知らないことであふれていた世界には、知らない分だけ素敵なことがたくさんあった。大人になった今では、誰かを好きになるときだって、職業やそれぞれの過去未来の希望によっていろんな理性が働く。
もちろんそれも、恋だと言えるし、ちゃんと好きな人だ。でも、恋が必要なかったあの頃に自然に目を引かれて好きになった人はやっぱり特別で、きっとこれから先も忘れたりできないのだろう。
私がそんな風に忘れられない人に初めて出会ったのは、小学生を対象にしたスポーツの大会でだった。時間帯が違えども同じスポーツスクールに通っていたので、その人がいる事自体は知っていた。そして、初めて私が彼を認識したのが、その日だった。
初めての大きな大会で、緊張していた私は中盤くらいで失敗してしまい失格となってしまった。そんな自分が情けなくて、そそくさと待機場所へ荷物を取りに戻った時、目が合ってしまった。
その瞬間は、とにかく情けない気持ちでいっぱいでほとんど覚えていなかったが、その後中学で同じ部活動に入部したことが仲良くなるきっかけだった。
同じ部活で、中学2年からはクラスも同じだった私たちは、一緒にいることも多く、口裏を合わせることも簡単だったので、ちょっとした悪友だったと思う。部活動の顧問にもクラス担任にも同じ単位で扱われていた。大抵いつも一緒にいたせいか、お互いの学力が近いこと、得意分野が違うことが分かってからは宿題の分担制も作られていたくらいだ。
そんな風に恋とは無縁に仲良くしていた人だったけど、振り返るとあの感情こそが恋だったのだと思う。
社会人になってできた恋人も確かに好きになった人だ。相手にも仕事や友達関係があるからこそ、離れている時に思うことができたり、姿の見えない友人に嫉妬したりする。そういう経験をしてみて、中学で一緒にいた彼は、ずっと一緒にいたからこそ、気づけなかった心地よい相手だった。
一緒にいたせいで、お互いに会話がなくてもなんとなく相手の考えや希望、悩み事が分かってしまうだけだと思い込んでいた。でも、そんな風に理解できたり、理解したい、してほしいと思える相手は貴重で、きっとそれ自体が相手に対する好意なのだと今ならわかる。
中学を卒業した後、スポーツスクールをやめるまでの高校3年間、たまに挨拶をしたくらいで、その後に見かけたことはない。同級生の話だと、私が進学したのと同じくらいのレベルの大学の、私と同じ法学部を卒業したらしい。就職先は、大人になってしまった私たちにはナイーブな問題で、さらにその先の彼の人生を知る機会はきっとないだろう。
知っても知らなくても、私のこれからに影響はないし、一緒に過ごした3年間の何かが変わるわけでもない。少し残念なことだけど、自然に誰かに惹かれて、好意を返してもらった貴重な時間。その時には、貴重さに気づけなかったけど。この経験があるからこそ、私はこれから先も好きな人に向き合っていける。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。