「美味しい」の笑顔が嬉しくて。これは料理を作る側だけが知る幸せ

誕生日の夕食は、ミートソーススパゲッティと野菜スープだった。母の作るミートソースは少し味が薄くて、わたしはそれが好きだった。野菜スープはくたくたになったたくさんの野菜とシャウエッセンが入っていて食べ応えがあったし、真冬に迎える誕生日にはぴったりだった。誕生日以外の日にミートソーススパゲッティや野菜スープが出ると「誕生日まであと◯ヶ月か…」なんて考えた。
母は普段から、自分の好みより家族の好みを優先して食事を作ってくれた。
たとえば、さつまいもご飯。母は甘いさつまいもと白米が一緒に炊き込まれることをあまり好んでいなかったけど、わたしや妹が大好きだったから、秋になると毎年作ってくれた。
たとえば、トマト。母とわたしはトマトが苦手だった(というか今も食べたくない)。よくある「ケチャップやトマトソースはいけるのに、トマト単体はいけないタイプ」が、わたしたちだ。でも父と妹はトマトが好きだから、母は5月になると庭にトマトの苗を植え始める。
すごいなあ、と思っていた。苦手なものはできれば食べたくないし、自分が料理するのだから、苦手なものを避けて買い物をして、料理をすればいいのに。
でも、違った。自分の作った料理を見て、大事な人が「うまそう!」とニコニコしくれる。嬉しそうに「いただきます」「ごちそうさま」を伝えてくれる。これが、料理を作る側の特権なのだ。その材料の中に自分の苦手なものが入っていても、関係ないのだ。
今、婚約者と暮らしている。彼とは、食の好みがまるで合わない。薄味好きなわたしと、東北出身のためにしょっぱいものが好きな彼。ネギはくたくたになっていてほしいわたしと、シャキシャキした状態が好きな彼。さっぱりヘルシーなものが好きなわたしと、ラーメンや揚げ物が好きな彼。
それでもわたしはスープを濃いめに作るし、ネギは最後に入れるし、唐揚げも揚げる。好みじゃない、とかじゃない。彼が美味しそうに食べるその表情、「また太った〜」とフットサルに出かける姿、そして「ごちそうさま」の一言は、料理を作ったわたしだけの特権だ。
彼の誕生日は、中華風のトマトスープとカルボナーラ、デザートにはレアチーズとみかんタルト。彼の希望で、毎年このメニュー。スープには顆粒の鶏ガラをたくさん入れるし、カルボナーラは生クリームとチーズで濃厚、ブロックベーコンをたっぷり使ってボリューミーになる。
自分が「料理を作る側」にまわって、母の気持ちがわかった気がする。自分の好き嫌いじゃなく、大事な人が美味しく食べてくれることが幸せで、それがわたしたち「料理を作る側」の特権だと。
ひとりでスーパーに出かけても、気づけば彼の好きなものばかりカゴに入っている。料理中は気付けば塩胡椒を多く入れているし、揚げ物の頻度も上がった気がする。
これからも末長く、彼の好きな料理を作り続けたい。
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