親の期待に応えるため、怒らせないために選んでいたカツサンド

おつとめ品のパンの詰め合わせを買った。廃棄処分削減のために、おつとめ品を購入できるアプリがあるのだ。私は選ぶのも苦手だし、決まったものを選びがちなので、バラエティ豊かな詰め合わせはとても助かる。そんなわけで、このアプリでパンを買うのがここ最近のマイブームだ。
今回の詰め合わせの中にはカツサンドが入っていた。私、カツサンド好きなんだよなぁとほっこりした。ほっこりしたのも束の間、私はカツサンドを自ら食べようとした記憶がない。全然買わないし、もちろん作るわけでもない。今回のカツサンドは年単位でのお久しぶりである。一体、どこから「私はカツサンド好き」情報が出てきたのか。
思い返すと子どもの頃、私はよくカツサンドを空港で食べていた。遠い親戚を訪ねる旅路の、途中の腹ごなしだった。空港で食べる物と言えばカツサンドだったし、カツサンドと言えば空港で食べる物だった。でも、色々とあるメニューの中で何故カツサンドだったか分からない。
そういえば、同じく子どもの頃、近所のおそば屋さんに行くと、必ず天ぷらそばを食べていた。天ぷらが好きだったかと聞かれたら、ちょっと自信がない。大人になった今だと、家で揚げ物は大変だから、揚げ物を食べるなら外食、中食に限る、とは思う。おそばは子どもの口には合わないから、せめて天ぷらをということだったのだろうか。なんとなくだが、贅沢をしなきゃと天ぷらそばを頼んでいた気がする。普段の外食は、食べたい物より値段の安い物を頼むようにしていた。親から家のローンがあると聞いたのを、子ども心に我が家はお金がない、貧乏なんだと思い込んだからである。今思い返すと、けして我が家は貧乏ではなかった。
そうやって子どもの私の思考回路を推理すると、空気を読んでの天ぷらそばだったのではなかろうか。恐らく、もっといっぱい食べろとか何とか言われたのを律儀に守って、毎度毎度天ぷらそばを頼んでいたのだろう。親の子どもにいっぱい食べさせてやりたいという気持ちに応えねばと選んでいた気がする。その線で考えると、カツサンドも似たような理由でチョイスしていたのだろう。多分、空港グルメで親受けの良いのがカツサンドだったのだ。
父は理不尽で暴力的だった。そのため私は父を怒らせないように異様に空気を読むようになった。何かを選ばせてもらっても、それは私の意向ではなく、如何に父に怒られないかが芯であった。自分で選んでいるようで、選ばされていた日々。外食で頼むメニューでさえも。
いや、私は食い意地の張った食いしん坊だから、天ぷらそばやカツサンドが単にその時の好物だった可能性もある。美味しい食べ物に対して妙な考えを巡らせてしまう自分が自分で嫌になる。でも、選ばされ続けたからか、選ぶことができない自分がいるのもまた事実。パン屋さんのパンでさえも。
厄介なのは、自分も周りも私の選択を、私の純度100%の意思だと思っていたことだろう。自分で選んだ癖になんとなく身が入らず、真面目にやってるように見せているだけなのが、自分で不思議だった。周りに自分で選んだんでしょと言われるのがいちばん苦痛だった。自分で選んでいるけれど、父を怒らせないようにが基準なので、自分の意思もへったくれもない。それは頑張れないし、身も入らないし、踏ん張れないわけだ。
そんなことを考えながら、カツサンドを囓った。とても美味しい。そもそも私は今回、選べないを選んで、このカツサンドと出会った。こうやって選べないからこそ出会えるものもある。そう考えると選べないことは一概に悪いことではないかもしれない。選べないという選択肢しかない状況は良くはないが。そしてもう、私が選べるのは、選べないだけじゃない。選ぶことも、選ばないことも、選べないことも選んで良いのだ。
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