心もお腹も満たす母のおかず。一人暮らしでようやく知ったありがたみ

私は大学進学と同時に一人暮らしを始めた。米と野菜は実家から送られてくるので食費は人よりかからない。母から「若いころ職場の食事補助もあって食費は月1万円で生活できた」という話を聞いて、私も月1万円以内に食費を収めることを目標とした。
1年生の最初のころは授業の数は少なく忙しくなかったので毎日自炊する余裕があったし、昼は弁当を持って行っていた。実家にいたころに比べれば品数は減ったが、それでも何かしらのおかずがあって1週間単位で見れば栄養バランスの整った食事をしていた。
しかし、2年生になり勉強が忙しくなると自炊をする余裕がなくなった。
自炊をしないなら買うしかないのだが、勉強に専念するためにバイトを入れていないので収入がない。弁当や惣菜など単価の高いものを買うのがはばかられ、昼食はコンビニの菓子パン1個で済ませる日が続いた。学校では昼食を友達ととるので周りの目も気になるので、少し余裕があるときはなるべく彩りの良い弁当を作った。
このころには、耐熱タッパーに卵と冷凍のミックスベジタブルを入れてチンして作ったオムレツやとりあえず具材を切って醤油と粉末出汁を適当に入れた炊き込みご飯など、手抜きだがそこそこのクオリティに見える調理方法を見出していた。
学年が上がると部活の付き合いでどうしても飲み会に参加しないといけないことが増え、飲み会代が食費を圧迫した。
どうにか削減しようと、人目のない家での食事はとにかく手を抜いた。基本は納豆とご飯で、たまに野菜として豆苗や炒めた玉ねぎを入れる。ただ生きるためだけの食事になっていた。
テスト終わりや1日中バイトのあった日なんかは帰りにおいしいものを買おうと意気込むのだが、いざスーパーに入るとすぐに値段に目が行く。食べればおいしいと思うのだが、どんなにたくさん食べても心が満たされなかった。
こんな食生活なので、私のアパートのごみ袋は納豆のパックでいっぱいで冷蔵庫はすっからかんだった。母は私の家に来るたびに貧相な食生活を嘆き、私が帰省するとここぞとばかりにおかずを作る。私が帰るときにはタッパー5つ分ぐらいのたくさんのおかずを前日から作る。「私のためにそこまでしなくていいのに」と毎回止めるのだが、母は「家の分のおかずを作るついでなだけ」と言ってやめない。
母の料理は秘伝の味でもなく、特別美味でも高級でもない。それでも、冷蔵庫におかずのタッパーが詰め込まれている間は私の心もお腹も満たされている。
実家暮らしのころは食卓におかずが並ぶことを当たり前のように思っていた。母は心身の不調から仕事をやめて専業主婦をしていたので、毎日のご飯を作ることぐらいやって当然だと思っていた。「おかずを何品も作らないと文句を言われる」と愚痴をこぼす母に対して、「専業主婦で暇なんだからそれぐらいやってよ」と内心思っていた。
私の受験期はちょうど母が体調を崩していた時期で、私が勉強の傍ら家事をすることが多かった。そのため、なぜ専業主婦の母が本業である家事に対して愚痴を言うのか理解ができなかった。
確かに一度に数品作ることは不可能ではない。けれども、それを毎日、しかも栄養バランスや食の好みや節約を考えながら作るとなると格段にハードルが上がる。現に私は、健康を考えて栄養バランスの良い食事にしようとすれば食費がかさみ、節約を考えて食費を削ったら炭水化物だけの食生活になった。
だから、毎日いろいろ考えて数品作るなんて至難の業なのだ。そんな当たり前のことに、一人暮らしをしてようやく気が付いた。
せめて母の苦労と努力に報いるために、帰省中は「お母さんのご飯おいしい!」を連発する今日この頃である。
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