普段は素通りする自己啓発本の棚、直感で選んだ1冊が見せた光

コンマ1秒。
好きか嫌いか、欲しいか欲しくないか。
たったそれだけの時間で全てが決まる。
控訴も上告もない1回きりの直感的最高裁判。
そうして選ばれてきた大好きなものたち。
もちろん全ては持ちきれないから、時期が来たら手放して、また集めて。
しかし確実に選択した全てが私に刻み込まれ、私として生きている。
その中でも手放さずに私の手元にずっと残り続けるものがある。
昨今の時代変化並みに早い私の感情変化に置いていかれることのないそれ。
1冊の本である。
ネットでありとあらゆるものが揃う時代になった今、私はあえて本屋で本を買う。
そうでなくても時間があれば本屋に足を運び店内を徘徊する。
明確な目的などほとんどなく、しかし関連情報以上の魅力的な出会いを期待して。
私にとっての本屋は化学反応を肌で感じる場所だ。
そうしてその日もまたぶらぶらと本屋を徘徊していた。
「天才を殺す凡人」。
何気なく通り過ぎかけた自己啓発本エリアで衝撃的なタイトルが目に飛び込んだ。
いつもこのコーナーは素通りするのが私のセオリー。
というのも、魅力的なタイトルと裏腹に書いてあることはどれも似たり寄ったり。
正直本を開けば開くほどつまらないと感じるのが自己啓発本へのイメージだ。
就職活動時にモチベーションを上げるとき以外見ることもなく、通りかかっても大体無視して素通りするのがおちだった。
しかしその日、その本だけは迷いもせず手に取った。
直感で選択されたもので囲まれた私の人生。
たまに失敗することもあるが、それでも大体は成功してきた。
ただ、本に関してはハズレの割合が多いのは事実で、中身を把握できない分加算される期待を回収できないことが原因なのだ。
だからたとえ期待外れだったとしてもしょうがないと割り切ることが出来る。
そんな気持ちで本屋近くのスタバで表紙をめくった。
2時間くらいだっただろうか。
ガヤガヤとうるさかった店内からいつの間にか人が減り、窓の外を見ると太陽はだいぶ昔に仕事を終えていたようだった。
すっかり氷が溶けて薄くなったカフェラテが喉を流れるように本の内容が私の脳内から血管を通じて全身を巡っていった。
天才、秀才、凡人、人間を3つのタイプに分け、それぞれの関係性、強み弱みを淡々と、しかしどの存在にも輝く機会があることをドラマチックに教えてくれた。
自分というものが何者なのか、社会でどういう立ち位置であるべきなのか。
ことあるごとに考える哲学チックな終わりのない問いに一筋の光が見えた気がした。
日々を生きていると目の前の出来事を処理する事に囚われて、なかなか振り返ることも見つめる機会もない。
立ち止まることが苦手な私が本を通して立ち止まり、自分とは何か、どうあるべきかを考えさせられた2時間だった。
スマホを眺めているだけで過ぎる2時間との時間価値の差に苦笑いが込み上げた。
大抵の本は1回読めば2度と開くことなくフリマサイトに売るのが私。
それにもかかわらずこの本はずっと私の手元にある。
私が何者か、社会でどうあるべきか、私の人生をどう生きるのか。
この本だけでは全ては分からない、しかしその時の私の立ち位置や心情に合わせてそっと寄り添い、足がかりを示してくれる。
直感的最高裁判で大成功を収めたその本は、家に一つしかないカラーボックスの一番手前に、いつでも取れる位置に今日も座っている。
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