かつて社会の授業で選挙について学んだときには、早く選挙権が欲しかった。社会の授業が好きで、政治にすごく興味があった。日本は投票率が低いということを知り、憤慨した。せっかく権利があるのに、それを使わないなんてもったいないと思った。

そんな私は現在25歳で、当然選挙権はある。だが選挙には行ったり行かなかったりしている。子供の頃と打って変わって、政治に興味がなくなってしまった。ニュースはほとんど見ない。

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大人になると、政治はアンテナを張っていないと情報が入ってこない。学生の頃は先生が教えてくれていたからわざわざアンテナを張る必要もなかった。結局私は政治に興味があった訳ではなかったのだと思う。決められた枠組みの中で学ぶのが好きなだけだったようだ。大人になってからわざわざニュースを見て情報を仕入れるほどではなかった。

新聞を取っていないのも大きい。昔は祖父が毎日新聞を読んでいたので、なんとなく見出しが目に入っていた。家を出てからはまるっきり新聞を目にしなくなった。テレビも祖父母がニュースをつけていたら目や耳に入ってはいたが、今はわざわざニュースを見ることはない。周りの人と話していると、あまりにも常識的なことすら知らないことが多い。

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とはいえ、政治に興味がないからと、逃げてばかりもいられない。選挙権があるからだ。
選挙には行くべきだと思う。政治に興味がないなりに、若者の投票率が低いことは知っている。それによって若者向けの政策が行われないことも。政策に直接口を挟むことはできないが、投票という形で声を上げることはできる。選挙は私たちが声を上げる絶好のチャンスだ。

そこまでわかっていて何故、私は選挙に行かないことがあるのか。それは政治のことがよくわからないから、そして何より、面倒だからだ。

よくわからないなりにも投票する方法はある。白票でも投票率には反映される。だが、よくわからないという状態は、「絶対に選挙に行かなかれば!」という強い気持ちには繋がらないのだ。支持する政党があれば絶対に選挙に行くだろうが、よくわからないと、面倒な気持ちが勝ってしまう。面倒な気持ちに勝るほどのものがあればいいが、そうではない。

期日前投票なるものがあるのもわかっている。家からそう遠くないところが投票所になっているのもわかっている。でもなんだかぐずぐずしてしまって、そうこうしているうちに投票日が過ぎてしまう、といった感じだ。もちろんいつもそういう訳ではなく、ちゃんと投票することもある。だが面倒で投票しないこともあるというのも事実だ。こんな今の私を見たら、学生の頃の私はがっかりするだろう。今の自分も、あまりにも当事者意識の低い自分にほとほと呆れる。

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投票することの重要性はわかっている。ただ何をするにも億劫になってしまう自分の性格だけが邪魔をしている。でも日本が変わってほしいという強い意思を持って、やはり投票はしようと思う。

まぁ私のことだから、それでも面倒が勝ってしまうこともあるだろうが。