我が父は頑固だ。

でも、娘の私も同じくらい頑固に育っている。
性格も似たもの同士なので、一緒に暮らしていた頃はちょっとした言い合いは日常茶飯事だった。
しかし、「もう話すもんか!!」と大喧嘩しても、数時間後にはケラケラと笑いながらTVを観ているのだから、親子って面白いなと思う。

喧嘩の内容はほとんどが他愛もないことなので、覚えているものは数えるほど。
それでも、1つだけ後悔している喧嘩がある。

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その日も、どうでもいいような言い合いから始まり、お互い口喧嘩がヒートアップしていった。
私も頭に血がっていて、思わず口にしてしまった言葉。
「もう持ち家なんてないくせに!」
父は、その言葉を聞いて、見たことない悲しい表情で寝室に篭ってしまった。

私が幼稚園児だったとき、父は一軒家を購入した。
小中学校も近く、一人娘の将来を考えて選んだ場所だったと思う。
日当たりも良い新築で、私はその家で高校卒業まで過ごした。

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父が関東へ単身赴任となり、私が大学進学を機に上京し、数年後に母も関東へ移り住むことになったとき、一軒家を売りに出した。
購入してくれたのは私の知り合いだったので、きっと大事にしてくれるだろうと安心はできた。

それでも、自分の育った家がもう帰る場所でないことは寂しかったのだろう。
父と喧嘩になったとき、そういう気持ちと混ざって思ってもいないことを言ってしまった。
父の顔を見た瞬間、「あぁ、この言葉は取り返しがつかない」と思った。
謝ったとしても、きっと父の心につけてしまった傷は癒えないし、父は私の言葉をたまに思い出してしまう。
私が口にしてしまった事実は、もう消えないのだと後悔しかなかった。

その後、「ごめんなさい」と言ったはずだが、父の心が本当に許してくれているのかはわからない。
あの喧嘩から月日が経ったが、いまだに私はこの一件を思い出して、なんとも言えない気持ちになっている。

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父、あの時はごめんなさい。
今さら謝っても言ってしまった言葉は消えないから、許してくれなくてもいいと思っています。
父があの一軒家を買ったから、私はここまでのびのびと育ちました。
あの家で過ごした思い出は、私の人生で一番大事なものです。
今でも、夢の中に出てくるのはあの家です。
きっと、私が歳を取っても帰りたくなるのはあの家なのでしょうね。

それでも、今を生きる私にとって落ち着く家は父と母のいる場所です。
家がどんな場所にあっても、持ち家でなくても、子供の私が帰りたくなるのは2人のいる家です。
2人がいれば、私はいつだって笑っていられます。

だから、なるべく長生きしてください。
きっと2人とも「長生きしたくない」と言うと思いますが、私が納得してお別れできるくらいには生きてください。
それまで、家族3人で色々思い出を作っていこうね。