「なんでこんなことで怒られなきゃいけないの?」

10代のある日、父に叱られた。今となっては何がきっかけだったのか、はっきりとは思い出せない。ただ、そのときの恥ずかしさと悔しさだけは、いまだに胸の奥に残っている。
というのも、私と父は、普段はとても仲がよかった。
よく冗談を言い合っては、ふざけて笑い合うような関係だった。
だからこそ、そんな父から真剣に叱られることが、私には大きなショックだった。

胸にムッとした何かを抱え、「自分は悪くない」と意地を張った。
言い返す勇気はなかったけれど、「ごめん」と言うこともできなかった。
子どもながらに、自分の正しさを手放すことが怖かったのだと思う。
それからしばらく、家の中で静かな冷戦が続いた。父は私に話しかけようとはせず、私も目を合わせなかった。ご飯のときも、すれ違うときも、互いに言葉を交わさないまま、時間だけが過ぎていった。

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でも、そんな日々の中で、だんだんと「もしかしたら、私が悪かったのかもしれない」と思いはじめた。けれど、素直に「ごめんなさい」を言うには、どうしてもプライドが邪魔をした。
だから私は、言葉の代わりに料理をすることにした。
父の好物だった、肉巻きおにぎりを。
小さく握ったご飯に、甘辛いタレにくぐらせた豚肉をくるくる巻いて、フライパンでじっくり焼く。じゅわっと広がる香ばしい匂いに、胸がぎゅっとなった。

お皿にのせたおにぎりの横に、小さなメモをそっと添えた。
「パパへ ごめんなさい」
たったそれだけの短い言葉。
2階のキッチンカウンターに、それを置いておいた。私は1階の自分の部屋に戻って、そっと耳を澄ませた。
しばらくして、階段を上がる足音。
少しして、また降りてくる音。
こっそり覗くと、父の手には、あの置き手紙があった。

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ドキドキしながら息を潜めていると、父は何も言わず、ただ一言「美味しかった」とだけ言って、私の頭をくしゃっと撫でてくれた。
その手のぬくもりが、言葉よりもまっすぐに、心に届いた。
ああ、伝わったんだ、と思った。
私は「ごめん」と言えて、父もそれを「いいよ」と受け取ってくれた。そんな、静かで、確かな瞬間だった。

あの頃の私は、父に怒られるたびに「なんでそんなことで怒るの」と反発していた。
でも、大人になった今なら、少しわかる。
怒るというのは、とても難しいことだ。
謝ることも難しいけれど、それ以上に、自分の想いをきちんと伝えることは、もっと難しい。
それでも、父は私のことを想って、言葉にしてくれていたのだと思う。ぶっきらぼうで、言葉少なだったけれど、その分、行動で伝えてくれる人だった。

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今、私が誰かとすれ違ったとき、すぐに謝れるかといえば、やっぱりまだ難しい。
でもあのときの父のように、誰かの「ごめん」をちゃんと受け取れる人には、なりたいと思っている。

あのときの「肉巻きおにぎりの手紙」は、私の小さな一歩だった。
不器用でも、まっすぐじゃなくても。
誰かを想う気持ちは、きっとどこかで届く。
あの日の私に、そして今、「ごめん」が言えずにいる誰かに、そっと伝えたい。