生まれてから大学を卒業するまでの22年間、地元で両親と共に暮らしていた私は、一人暮らしに強い憧れがあった。
就職先は、一人暮らしができるところにしようと意思を固め、就活を開始。そして無事、首都圏の企業に内定をもらったのだ。

大学を卒業してから、地元である九州に残る友人が多数の中、私は地元を飛び出し、夢だった都会での一人暮らし生活を始めるはずだった。
しかし、一人で暮らすのはそう楽ではなかった。

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夢の一人暮らしを始めたが、一人暮らしというものは思った以上にお金がかかる。
光熱費、食費、その他もろもろ自分で考えながら使って生活していかなければならない。
給料から家賃は天引きされる。残ったお金で、どう生活をしていくのか、初めは考えるのが大変だった。
生きていくにはお金がかかるのだと痛感した。

そんな中、一人暮らしをして変わった価値観がある。それは「食」への考え方である。
実家にいた頃は、母が料理を作って出してくれ、たまに自分がリクエストすると、それを作ってくれた。それが当たり前だったが故に、食に対する関心というものは特になかった。外出しても、食事に時間が割けなければそれでよかった。旅行に行っても、名物の食べ物は特に興味なんてない。たとえ旅行先でも、お腹を満たすならコンビニのおにぎりで十分だった。食事なんて二の次、三の次にしか考えてなかったのだ。

そんな私は一人暮らしを始めて、自炊をやってみることにした。しかし、自炊するにも、作るものが限られる。
揚げ物はしないし、何か食べたいと思っても一人で消費するには多すぎたり、作り方がわからなかったりするものばかりだった。
それに、その料理を作るために材料を買っても、余ってしまうと、その後の使い切り方がわからない。そして意外に自炊をした方が高くつくこともある。
大学時代、一人暮らしをしていた友達が同じようなことを言っていたのを思い出した。

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仕事では、初めの方は職場の先輩がお昼を奢ってくれるが、先輩が頼むものよりも安いものか、同じものを……と思えば、選ぶものは必然と決まってしまう。
実家暮らしの時は、食に関心がなかったが故に、そういう場面で、先輩よりも安いものをメニューの中から選ぶのは、容易だった。
しかし、一人暮らしを始めて、食事が唯一の楽しみになると、先輩が奢ってくれることへの感謝よりも、食事に対する窮屈さの方が大きくなっていく感覚だった。

そんなことを考えているうちに、一人で食べるご飯はこんなにも寂しいものなのか。誰かとご飯を食べることはこんなにも楽しいものなのか。
一人暮らしをして初めて「食」に対して感情を持った。
さらに、自分でご飯を作ることの難しさ、作っても消費するのが自分しかいないという寂しさ。他にも色々な感情が押し寄せてきて、次第に自炊をしなくなった。
人生で限られた食事の回数なのだから、できるだけ美味しいものが食べたい。食べるなら思いっきり好きなものが食べたい。そんな感情が先行し、気がつけば仕事終わりに同期と一緒に晩ご飯を食べにいくことが増えていった。
外食では出費が多くなるが、それ以上に誰かとご飯を食べるということに、出し惜しみはしたくなかったのだ。

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そしてお店に行って、メニューの中から選ぶものは、必然と「自分では作らないもの」になる。それが一番大きな変化で、自分でも驚くことだった。
実家にいた時の、好きな時に好きなものを出してくれた母の料理のありがたみと、一人で暮らすことの難しさ。
結局、約一年という短い期間の一人暮らしだったが、それらを学んだ。
今は一人暮らしを辞めて、再び実家での生活を始めているが、やはり食への関心は未だに一人暮らしの時のままである。
SNSで美味しいご飯屋さんの投稿を探すのを楽しんだり、そこで見つけたお店に行くために地元の友達を積極的に誘うようになった。

一人暮らしの楽しさや自由さはもちろんあったし、それを手放す時は寂しささえあったが、誰かが周りにいる環境で暮らす楽しさも、もっと噛み締めるべきだと学んだ一人暮らしの期間であった。