ずっと私を大切にしてくれた彼を大切にしたかった。だから、手を離した

彼と出会ったとき、私たちは最初から「結婚を前提に」という言葉を交わしていた。私は26歳、彼は27歳。お互いの年齢や環境を考えれば、それは自然な流れだったし、私自身も「この人となら」と心から思える人だった。
交際期間は半年と短かったけれど、その密度はとても濃かった。彼は誠実で、思いやりがあって、言葉にしなくても私の気持ちを汲み取ってくれる人だった。将来を語るときの彼の瞳の真剣さに、私は安心感と希望を感じていた。
けれど、それと同じくらい現実は残酷だった。私の家族——特に弟には、過去に前科があった。若さゆえの過ちだったとはいえ、その事実が消えることはなかった。そして、彼のご家族には警察関係の方がいた。正義を信じ、規律を重んじる家庭で育った彼にとって、私の家族背景はどうしても避けられない障壁だった。
彼のご両親は、私との結婚に強く反対していた。直接的に拒絶の言葉を受けたわけではなかったけれど、彼を通して伝わってくる「受け入れられていない」という感覚は、胸に深く突き刺さった。
彼はそれでも私を選ぼうとしてくれた。苦しみながらも、私との未来を諦めたくないと、何度も言ってくれた。そのたびに私は彼の優しさと覚悟を信じた。でも同時に、彼の中にある葛藤もはっきりと感じていた。彼にとって結婚は、愛する人と生きていくためのもの以上に、ご両親を安心させるための「責任」でもあった。
私はというと、結婚という形にはさほどこだわっていなかった。もちろん、好きな人と家庭を築けるなら、それに越したことはない。でも、それ以上に私は、「彼と一緒に生きること」が何より大切だった。籍を入れることよりも、どんなときも寄り添い続ける関係にこそ、意味を感じていた。
私たちはたくさん話し合った。答えを探して、何度も同じ話を繰り返した。でも、現実は変わらなかった。私が彼と一緒にいる限り、彼は家族の信頼を失い、ずっと葛藤の中に身を置くことになる。彼が抱えていた苦しみの正体が、私自身であるという事実に、どうしても耐えられなかった。
だから私は決めた。彼の人生から身を引くことを。彼が家族と穏やかな関係を築き、心から安心できる未来を歩んでいくためには、私が手を離すしかなかった。ずっと私を大切にしてくれた彼を、私なりに大切にする最後の方法が、それだった。
別れの日、私は静かに微笑んで、「ありがとう」とだけ伝えた。泣いたら止まらなくなる気がして、それ以上の言葉は飲み込んだ。彼は何か言いかけたけれど、結局黙ったまま私の手を離した。あのときの手の温かさだけが、今も胸に残っている。
その後の私は壊れていた。無理に明るく振る舞い、平然を装って日常に戻ろうとしたけれど、心と体はついてこなかった。気づけば、半年間の記憶が断片的に抜け落ちていた。誰と何を話したのか、どこに行ったのか、ほとんど覚えていない。医師には「強いストレスによる健忘かもしれません」と告げられ、私はただうなずくしかなかった。
でも今、私はようやく、過去を過去として受け止めることができるようになってきた。あの別れは確かに苦しくて、悲しくて、すべてを失ったように感じた。でもそれは、私が彼を本当に愛していた証でもあると思う。
彼が今、幸せでいてくれることを願っている。そして私も、少しずつ自分を大切にする方法を学んでいる。愛する人のために手を離すことも、愛のひとつの形なのだと、あの別れが教えてくれたから。
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