政治に参加する時間が足りない現代社会で、いま私にできること

メンタルを病んでしまってから、幸か不幸か、空き時間が多くなった。だから私にとって、選挙は前向きな義務になった。
前向きな義務と言ったが、使命感でもある。選挙の候補者の公約を読んだり、新聞の政治欄を読んだりする時、「時間がある私がしっかりチェックして、みんなが幸せに暮らせる社会を作ってくれそうな候補者を選ばなきゃ」と思っている。誰かの代理の投票はできないので、余計なお世話である。だが、こう思った背景を読んで欲しい。
SNSで繋がっている人の投稿や、その人から流れてくる投稿には、少なからず「政治のことを考えるのがしんどい」というのがあった。
どんなにホワイトな企業でも、残業が発生せざるを得ないらしいこの国では、残業と、通勤時間と、家事に追われていて(人によっては介護や育児も)、政治のニュースを追ったり、候補者の公約や実績や人柄のチェックなんて、とても残念だけど、負担が大きいと思う。政治の話は馴染みがなくて難しいし、論戦が特にネットだと誹謗中傷レベルに強い語調になるのも珍しくない。仕事や日常に追われているときに接するのは、精神的にものすごく負荷のかかることだ。実際現在時短勤務で、実家暮らしの私でも、ネットの政治ニュースや投稿に接していてしんどくなり、趣味に手をつけられないほどになったこともある。残業やハラスメントで疲弊している人にはさらに厳しいものだろう。
日本の有権者には、とにかく自分を癒したりする時間やお金が足りないと、社会人をやっていて思う。家事など私的タスクをこなす時間はもちろんだが、自分を癒す時間と、政治に向き合う時間がしっかりとれないと、選挙など政治参加は片手間になってしまうのではないだろうか。
時間を取るのは時短勤務にすればいいが、この国では正社員での時短勤務は、育児や介護などやむを得ない事情があるときにしか適用してくれないことの方が多い。労働時間が短いと、雇用形態は不安定だし、賃金も少なくなってしまう。賃金が少ないと生活水準が下がり、余裕がなくなる。痛しかゆしである。正直労働時間一日3時間週三日くらいで、最低限の生活ができるようになって欲しい。労働時間は短ければ短いほど、賃金は高ければ高いほどいい。
また、時間がないのはメディアも同じように最近は思える。特に新聞などリソースの問題が大きいメディアが顕著だが、政府が立案した法律を紙面などでとりあげるための時間が足りないように見える。審議間際で騒ぎになって、ちゃんと議論されないまま、自分たちの生活を苦しめる法案が通っているように感じられることが、ここ最近よく起きている。そこをSNSが補っているようだが、SNS上だと切り口が極端になりやすいので、よくない傾向だ。信頼度も下がるし、読み手の精神的疲労も溜まる。
選挙や政治は負担が大きい。だから、時間などに比較的余裕がある今の私は、前向きな義務と考えて政治参加するようになった。
本当は全ての人が、ちゃんと選挙や政治にかけられる時間が欲しい。私は選挙がある時は、もっと時間や賃金を増やしてくれて、身体的にも精神的にも自由を保証してくれそうな政党や候補者に投票する気でいる。
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