同世代のインフルエンサーの真面目な呼び掛けに感化され、投票所へ

「~○○、○○でございます。~誠心誠意、発展のために尽くして参ります」
あぁ、なんて目覚めだ。こんなにも人を不機嫌にさせる目覚まし時計があってなるものか。
優しい声色とは矛盾してけたたましく響くその熱意は果たしてどれほどの効果があるのだろうか?なんて休んでいた脳をゆっくり起動させながら、スマホを手に取る。
あぁ、やっぱりな。
最近赤ちゃんが生まれた知り合いや、ようやく二足歩行を始めた子供を持つ友達がストーリーや投稿で溜息と怒りを吐き出していた。
「やっと寝たと思ったら選挙カーの声で起きちゃった…」
「市民のために行動するっていうなら、まずは静かにしてよ!」
確かに、一理ある。私は独り身だからカフェオレでも飲んでイヤフォンしながら好きな動画でも見れば、ちょっと暴れそうになった心もたちまち凪にすることができる。ただ、この春から保育園に通い始めた甥っ子がいる身として、子供が泣きながら起きだした時の焦りと絶望感はある程度理解している。
…確かに、そうだよな。世の中のためにっていうなら、まずはたった一人を不幸にさせないことからだよなと思う。
最後に選挙の投票に行った日は、はっきりと覚えてる。二十歳になったその年、まだ住民票を移していなかったため実家に届いたハガキを持って父親と地元の公民館に初めての投票をしに行った。普段父親と出かけることなんて滅多にないのでどんな流れでそうなったかは覚えてないが、終わった後ちゃんと書けたか確認されたことは記憶にある。これが私の最初であり、最後の投票だった。
2024年10月、そんな私は見知らぬ建物に向かっていた。入場券と書かれたハガキを手にして。
普段は研究所として使われているそこに行くには、私なりの多少の勇気が必要だった。
厳かな雰囲気だったらどうしよう。少しでも間違えた行動をしたら怒られるんじゃないか。
こんな小娘が一人で行って、ジロジロ見られるんじゃないか。
しかし会場に着くとそんな不必要な心配とは裏腹に、老若男女が淡々と出入りしている様子で、私もあれよあれよとスムーズな声掛けにのせられものの数分で会場を後にしていた。こんな、あっけらかんとしたものだったっけ?
数年前の初めての記憶を呼び出そうとしたが、海馬に残ってなさそうだったので諦めた。
政治のこともたいして知らない、知ろうともしない、なのにこういう世の中になってほしい、こんな国になってほしいなんて不満や願いだけは一丁前に大きい私が、どうして数年ぶりに選挙の投票に行こうと思ったのか。それは普段見ているインフルエンサーがYoutubeやXで呼びかけていたからだ。
あまりにZ世代すぎる理由かもしれないが、普段面白いコンテンツを投稿している同世代の人たちが真面目に投票を呼び掛けているのは、知らない大人に説得されるよりはるかに効果的だった。
どうして投票に行った方がいいのか。私たちの世代が行かないとどうなっていく可能性があるのか。どうやって政党や候補者を選べばいいのか。学校でも教えてもらえなかった事を真剣にかつ分かりやすく嚙み砕いて説明してくれたおかげで、私の重い腰がよっこいしょと起き上がった。
不思議と清々しい気持ちを共有したくて、親友に「投票に行ってきた!」と送った。「私も!」と、返ってきた。双子の子供を持つ親友は前日に父親から「無関心だとしても無関係ではいられないよ」と言われ、投票に行ったらしい。なんだか、一緒に本当の大人になれた気がした。その調子で家族にも同じ文章を送った。「誰に投票したらいいの?笑」「スマホで出来るならやるんだけど…」そう、返ってきた。まるで、これまでの私のようだと思った。
タイパを重視する世の中、一人一台持っている機器も意味をなさない。
確かに、投票の仕方も時代の変化に沿って対応していかなければいけないだろう。でもきっと誰しも、今のこの国や世の中に対する切なる思いや訴えがあるはずだ。そのエネルギーを独り言で終わらせるんじゃなくて、投票で消化出来たらと思う。
私のように政治初心者の人は、まずは投票マッチングで調べてみてほしい。
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