交際して3年半になる恋人がいる。
同棲して2年半、良好な関係を保っていて、これまでに片手で数えるほどしか喧嘩をしたことがない。

しかし、その片手の内、2本の指に入っている喧嘩が、選挙を巡る考え方の違いである。

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1回目は同棲してすぐのこと。
私と彼宛に、「選挙のお知らせ」が届いた。

同棲してから初めて一緒に行ける選挙。「投票何時頃行く?」と聞いたところ、「行かないよ。行ったことないし」と、乾いた声が返ってきた。

静止画のように、私の中で時が止まった。彼が選挙に行ったことがない事実を受け入れることに、一定の時間を要したのだ。

私の両親共に、選挙に行くことを欠かさなかったし、父は投票立会人も務めたことがある。

さらに父は「投票率が100%になったら、政治家も日本も絶対に変わる。だから選挙には行かないといかん」と口酸っぱく言っていた。

私も、教育実習で選挙の大切さを中3に伝えたことがある。「選挙権を持ったら、必ず行きましょう。私も欠かさず行っています」と話をした。

つまり、私が生きてきた世界の中では、選挙に行くことが当たり前だった。
だから、恋人という身近な存在が、何の疑問もなく選挙権を放棄していることが、理解できず、恥ずかしく思えたのだ。

「せっかくだから、一緒に行こうよ」と私。
「行かない。必要性が分からない」と彼。

私が言葉を失って黙っていると、「あなたの機嫌をとるための選挙へは行かない」と冷たく言い放った。

まるで私が間違っているような物言いと、積み上げてた価値観にツバを吐くような態度に、強い苛立ちを覚え、私は何日か口を聞かなかった。

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2回目は、半年ほど経った後。以前の私の振る舞いに、さすがに彼の心も揺れたのか、投票所には行くと言ってくれた。

今回の選挙は、私にとって重要なものであった。教育事業に携わっていたので、子育てや教育について、立候補者がどのような公約を掲げているかを非常に重視した。
調べて、考えて、よりよい未来になる事を祈って、私ができる政治参加の全てをかけて投票する。

選挙当日は、投票用紙記入の一画ごとに時間をかけたため、彼の方が先に出口で待っていた。

「ごめん、お待たせ。早かったね」と私。「うん、だって書いてないから」と彼。
また、私の中で時が止まる感覚。「誰を選んでも変わらないし、白票で入れることは間違ってない」と彼は淡々と言った。

その言葉は、何も調べていない、考えていないことを正当化するように聞こえた。考え抜いた私にとって“諦め”でしかなかった。

与えられている権利を蔑ろにしている姿に傷つき、信念を否定された気になった私は、また何日か口を聞かなかった。

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それからの選挙は一緒に行っていない。恋人ですら分かり合えない事がよく分かったから、お互いそれに干渉せず、軋轢を生まない方法を選んだのだ。

私は今も、分かり合えない人と暮らしている。けれど、分かり合えないことを前提に、私は私の意思を諦めたくない。

選挙は、それぞれが違う価値観で生きている事実を認め、その上でどんな社会を望むか、自分がどう生きたいかを問うための機会だ。

だから私はこれからも選挙に行く。私の一票で、社会を少しずつ変えていく。「何も変わらない」と言うその声に、静かに抗い続けるために。